以外に何物もない。大阪梅田駅前の光景、というものは、第三流都市の下品さである。豊橋とか、岡山とか――。
 粟おこし屋、安物雑貨、バナナと蜜柑としか無い果物屋、何処の三流都市よりも劣った安宿。甘酸《あまず》っぱい湯気を立てている鮨屋(此湯気は甘酸っぱくないかもしれぬが、そうしておかぬと気持が出ない)、これらの店の連続は、近代都市、経済都市の玄関ではなく、朱判を押した白衣の、団体客によってその繁栄を保持している町のステーション風景である。
 もし、私の恋人が、初めて、私を大阪に訪うてきて、この下級飲食店の羅列を見て、その町に住んでいる私を軽蔑しないなら、私は却《かえっ》て、物を軽蔑することを知らない、その恋人を軽蔑してしまうにちがい無い(物を軽蔑することのできぬ人間は、又、物を尊敬することを知らない。僕の格言)。
 だが、こういう小商人《こあきんど》はいい。彼等は、己の都市の美観よりも、金儲けに忙がしい。只怪しからんのは、阪神という阪急と共に梅田の東西に蟠居《ばんきょ》している大資本家である。巨額の積立金を持っていながら、電車は、プラットホームさえ有ればいい、というような態度である。阪神の
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