み、専心してしまう。
 それは、確に、一九三〇年までの、良妻、賢母であるが、其の後女性は、妻と同時に、恋人、それからダンサア、それから、職業の助手――そうで無ければ、私は、一人前の女房で無い、と信じている。夫の浮気とは、余り、妻が、妻でありすぎる故に原因している。
 この意味に於て、私は、大阪の女を、今女房にしろ、と云われたなら、甚だ、失礼千万ではあるが長襦袢をきて寝ますか、浴衣がけですか、と、質問したり、男との交際は好きですかとか、嫌いですか、とか――多分、先方から、断られるであろうが――東京の風俗は、そういう方へ、近づきつつある。
 私は、二三の、地方出の女も知っている。彼等は又、勇敢に、東京を模倣している。それは、しばしば滑稽ではあるが、その代り、東京のいい所をも、摂取して、二三年経つと、板についてしまう。大阪は、余りに、自個《じこ》をもちすぎている。

  倹約

 料理屋へ行って食物が残ると
「折へ入れとくれやす」
 と、いうのは、大阪中流の、倹約思想である。悪いことでは無い。ただ、私にとっては、そうして持って戻った肴《さかな》を、煮ても、焼いても、決して、うまかった、ためし
前へ 次へ
全69ページ中60ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング