多く持っているであろうが、その着こなしに於て到底、東京に及ば無い。
 東京の街頭で、けばけばしい薄色の羽織を着、形の悪い鬢に結っている女があったら、それは、関西人か、吉原の女郎かである。黄色系統が流行すると、すぐ黄色に、薄色羽織が流行すると、すぐ薄色に――。
 東京の女は、断髪にし、眉を細くする。だが、それは、極めて一部分の――それは、銀座を歩いても、百人に一人であるが、支那人は、忽ちに、悉く断髪をした。この差が、東京の女と、大阪の女との差に、十分含まれている。アッパッパが、大阪近代風俗の一つとなり、東京の流行が千差万別であるとの差であって、知識の差に、帰着してくる。
 私は、知識を大して重んじないが、知識への憧憬だけは持っていてもいいと思うている。大阪の女にも、それは、女学校時代まであるにちがいない。だが、何の女もそうであるように、家庭を持つと退歩して行く。少くも、彼の亭主は、何らかの意味に於て、年々、進歩をして行くが、女は、女房になったが最後、だんだん退歩してしまう。これが、大阪の女に多い。少くも、東京の女は、いくらか、時代と共に進む意志をもっているが、大阪の女は、家庭を守る事にの
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