、すらりとしていて――と思うが――何処の山猿かしら、と思っている石井鶴三氏は、下谷っ子であり、泉鏡花は、加賀っぽうであり――こんな概念など一顧の価値も無い。第一に、純粋の大阪人が、今、幾人残っているか? 近江泥棒、伊勢乞食と、矢張り一口に云われる人間が、入込んできて、大阪人になっている――紀州、大和――とにかく、東西南北から他国人が入込んできている。
私の父も、母も、大和人であるから、私は、純粋の大阪人では無いが、とにかく、大阪で生れた人間として、一口に、贅六と云われる概念を打破してもいいとおもう。
恐らく、大阪の町人は、人を押しのけてまでも、金儲けをしたいとは思わなかったにちがい無い。
「儲かりまっか」
と、挨拶したり、すぐ、ぼろの出る粗悪品を輸出したりして、大阪商人及び大阪人の面目玉《めんぼくだま》を、踏潰《ふみつぶ》した、野郎共は、他国の、奴にちがいない。
大阪商人の代表として、蔵屋敷出入の人を、もし、挙げていいなら、彼等は、悉く、立派な男である。度胸と、見識と、洒落と、悟りと、諦めと、趣味と、多少の学問とそう云ったものを持った――つまり、大都会の、大商人らしい、都会人ら
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