私は、その頃、竹竿をもって、材木の間をつつきに歩いた。確に、悪童であったにちがいない)。私は、今の内に大阪の隅々を見ておかぬと、齢が齢である(いくつなんだか判らない三十五である)。
所で、大阪を見たり、論じたりする場合、必ず、その好敵手である東京と比較して、女が、食物がというが、凡そこれ位、常套手段は無い――と思うが、何うも、これは、アメリカ人が、木登り耐久までもして、世界一という比較を誇ろうとする如く、文化の進歩上いい現象なのかもしれない。ただ私は、大阪生れの、東京|住居《ずまい》である為に、或は、公平にも見えるし、或は偏頗《へんぱ》になれもする。都合によっては、一方へ偏したり――多分、誰よりも、偏頗になりえられる。
歩くには、もう少し寒いが、一人で、ぶらぶら(若い、美しい女性の同伴希望者は、速かに申込むべし)明日から、歩こうと思う。
梅田と木津川
私は、いつも、大阪へくる時、飛行機にしている。汽車のように退屈しないからである(退屈ということが、何んなに、金儲けにならぬことかは、大阪人が、一番よく知っているだろう。だから、旅客飛行機の乗客で、搭乗《とうじょう》回数のレコ
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