は、無いようである)、小説の筋を考えたりする事はできない。ノートを懐に、印象をかいたり、感想を止めたり(私のノートは、始めて、ノートらしくなるであろう。私の、紙入の中には、二三年前から、小さいノートが入っているが、芸者の名だの、ウェイトレスの署名だの、碌なことが書いてない)、それから、宿に戻ると、私は、今度、約、三十冊の参考書を持ってきている。それでそれによって、いかに、私が、博学であるか――と、いうように、いろいろの知識を、書くのである。
例えば、私は、淀屋橋に於て、勿論、淀屋辰五郎を書くであろうが、それからつづく、八幡の仇討は、恐らく、誰も知るまいし、金の鶏の伝説と、長者伝説、それから、大阪町人の献金と、幕府の対町人政策、もし、私が、紡績会社を訪問したなら、一九一四年の総|錘数《すいすう》が、一億二千五百万個であり、その消費数が、二千八百万俵であったに拘らず、一九二八年には、錘数に於て二割六分を増加し、消費数に於て一割の減退を示しているから最早、紡績業は、飽和点に達して、衰減状態であるというような事を、論じるかもしれない。
私は、現在、又現在まで大衆文学以外の物を書いた事が無い
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