もう少し教養が、気取りがあってほしい。流し目一つさえ、満足に表現し得ないエロなどというものが、のさばる事は、男女お互に恥辱である。インドの「愛経」によると、脣《くちびる》のキッスのみで八種あるが、少くもウェートレスは、それ位のことを心得ていて貰いたい。Aの時には第一種のキッスで、草履《ぞうり》か靴を軽く踏むとか、Bの時には第二種で、脚を押しつけるとか、Cの時には第三種で、手を廻して首を抱くとか、――それ位の抱擁の区別は、ちゃんとしてもらいたい(この抱擁の形式は、罪のないものから深刻を極めるものに至るまで、約二十種ある。女の方には、特別に教授してもいい。一種五円位で、高うおまっしゃろか)。
 露骨なるエロよ、一九三〇年と共に、消えてくれ。

  美術館と動物園

 私は、もっと歩かなくてはならぬが、サー、理窟を云いすぎた。――そうだ。私は、天王寺へ参詣してから、理窟ばかり云っているのだ。
 産湯稲荷の、抜け穴は、何うしたかしら? 私の少年時代、その穴は、真田の抜け穴だと信じて、度々入ったものである。七八間も行くと、行きづまりになっていて、一寸、失望したが、この頃は、柵が設けてある。あの前
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