、講堂で云い出した。校長は大抵、紳士だから小便のことは口にしなかったが――真田幸村戦死の地であると共に、私には忘れることのできない所である。
 大阪の役、と云うと、後藤又兵衛に、真田幸村が、活躍するが、明石全登、毛利勝永の二人を、もう少し紹介してもいいだろう。明石が、十字架の旗を翻《ひるがえ》して、行方不明に終ったこと、毛利が徳川の本陣近くまで、肉迫したために、家康の旗が旗手の手から取残され、槍奉行の大久保彦左衛門がその旗を守って退却したなど、世人に余り知られぬいい話が残っている。
 一度大阪の町々の、こうした史蹟と、史話とを書いて、保存法と、紹介法とを考えては何うだろう。その位の愛市的観念と、財力があっても、金儲けの邪魔にはなるまいと思うが――実際、私等、大阪育ちの、相当そういうことを心得ている者が、歩いていてもつい見逃してしまうことが多い。
 天王寺を出てタクシーに乗った。小雨が降ってきた。「こらっ」と怒鳴るので、見ると、助手を叱る巡査だ。
 少しばかり、大阪、京都の方が叱るお巡さんが、多いらしい、ということは、叱られる市民の多いことで、これは、非文明、非公徳の反映であろう。わざわ
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