ではないか? それも五十種の前菜と三十種の漬物とだけでも立派に一名物はできる。三十種のうまい漬物で、茶漬を食わせるだけでも、優に名物に成りうる。
 屈強の原料をもっていて、この心懸けが出ない以上、大阪の料理人が、千人東京へ行ったって、それは、鼠の移動と同じことで、料理の発達とは無関係だ。発達と関係の無いことを、何うして称められるか? 大阪人が、東京へ行って儲けたって、何が、日本の得になる。
 つまり、こういうやかましい理窟が、生じてくる。私はサー、理窟っぽすぎるが、大阪料理の為にこう云いたい。玄人よりも、料理がすきで、板前になっている素人料理の人に、しっかりやんなはれ、と云いたい。

  古蹟と交通

 矢野橋村が、天王寺にいた時、その二階から、塔を眺めては「天王寺は未だ、健在だなあ」と、思ったことがあった。然し、お寺は、酒場ほど面白くないから、行っても見なかった。
 今日も、薄曇りの日に、寺の前まで行ったが、境内の冷漠さを見ると「ええ寺やな」とだけ感じておいて、戻ってしまった。寺だの、大臣だのは、この程度に眺めておいたらいいものであって、深く入ると失望する。
 西門、石の鳥居の左側に
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