んでいるような根性では何うもあかんと思う。この点、北大路も、花ノ茶屋の井上も同じことで、前菜二十種だけ作っておいて、儲かったら、のん気に、陶器を焼いたり、別荘を建てたりしている。大阪から逃出して、東京で当てた「浜作」も、そろそろ競馬へ行き出した。
何故、料理屋の主人は、料理の研究に、一生を捧げないのか? 江戸風料理の第一人者である「清さん」でも、金儲けに忙がしい。御霊の「福丸」も、親爺が、怠け出した。小金がたまると、悉《ことごと》く、これで、文句を云えば、「大阪料理は生地の料理や」で、済ましている。
何故、それ以上にしてはいけないのか? 何うして、古今東西の料理を研究して、新味を出すに努力しないのか? 僕の頭の如き、生地のままでは、食わせようも無いからにもよるが、読みたいもの、書きたいこと、研究したいことがあって、飽くことを知らない。
僕は、庖丁はもてぬし、今から料理人にも成れぬが、もし、成ったなら、このうまい魚と、いい野菜とを控えている大阪の料理人として、西洋、支那をも研究して、少しは珍らしい物も、作ってみせる。「伊勢屋」が「大市」派のスッポンを食わせるだけで、あれだけ繁昌する
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