い、と、こういう話である。
生糸が下落した。又、上るかもしれぬが、人工絹糸に圧迫されたまま、そう上らないかもしれぬ。日本の生糸は家内手工の一つで二千年来同じ方法で製産している。国立の養蚕《ようさん》研究所は、ドイツなら設立されているだろうが、日本の政府は、値が下った、補償法を適用しろで、養蚕その物の根本的研究は、全然考えていない。だが、生糸が下落して、惨憺《さんたん》たる目に逢った養蚕家は製産費の低減、製産額の増加によって防止する外にないと考えた。そして、ここ一年余りの間に、桑でなくともちさ[#「ちさ」に傍点]である程度養えること、冬でも上簇《じょうぞく》できること、煮ないでも糸がとれることを、死物狂いで、試験的に成功さした。
だが、こんなことは、とっくに政府の手でやってやるべきことである。政府が駄目なら、大阪人の手で、やるべきことである。大戦前まで、樟脳は日本の特産だった。人工樟脳の製産は、不可能だとされていた。だが、ドイツは見事に人工的に産出して、日本樟脳は暴落してしまった。製造工業の盛んな大阪。それ以外に、国をよくする方法の無い日本に於て、個人又は、大都市の、科学研究所がない
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