者に押されてしまったように、こうした人々は、成るべく物を避けようとする傾向がある。厚釜しく、人を押しのける事ができないで、苦笑しながら、自ら引退る傾向をもっている。
私は、小出君にも、九里丸君にも、私交が無いので、詳しくは云えないが、こうした人達を見る時に、初めて大阪はいい所、いい人の生れる所だな、と思う。そして商人もこういう人達と同じような態度になったなら、もっと儲かるのにと思う。乾新兵衛とか、寺田甚与茂とかという人も一つの金儲けタイプであるが、こんなにかちかちにならない方が、私は金儲けの為にいいと信じているし、大阪には多分の卑俗なユーモアがあるが、何故あれをもっとうまく利用しないかと、いつも考えている。大倉喜八郎が拙い狂句を作ったり、太閤秀吉が、とてつもない事をしたりするあの明るさが、どうして九里丸や、小出君の出た大阪の、その商人に欠けているのか? ユーモアでは、金が儲からんと考えていて、乾、寺田派に、しかめッ面をするのが多いらしいが、私の知っている範囲に於て、外国商人は実にあかるい。朗らかである。洒落と、戯談《じょうだん》と、哄笑《こうしょう》とで、商談をすすめて行く。日本の商人に限って仇敵と、取引しているように、真剣である。
私は、大阪の洒落についてもっともっと云いたいが、それは次の機会に――本当に、私が、ぶらぶらと、大阪を歩く時に、云う事にしよう。多くの概念ばかりを、私はかいてきたが――実は、私は、もう少し、大望を起したのである。ただ、ぶらぶらと歩いて、見て、書いたって仕方がない。大阪の歴史を――私の故郷の出来事を、諸君の町に嘗ていた人の伝記を――そんな物を、書いたら、何うだろうか、と。私は、歩くだけでなく物を調べてから、歩いてみたくなってきたのである。
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私は、宿から、近いので、よく心斎橋から、道頓堀を歩くが、そして、今まで、書いてきたようにいくらか、歩いては考えるが、戎橋《えびすばし》の本当の名は、何というのか? と、人に聞かれたら、一寸、困るだろうと、思う。
「戎橋は、戎橋や」
と、云っても、大抵の人には、いいであろうが、この名は、俗称で、本当の名は、別にあるのである。
千日前には、三勝半七の墓がある。然し、誰も、何処にあるのか知らないであろうし、そして、三勝と半七との、本当の事件も、多くの人は知らないであろう。私はただ、
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