歩いて、現在の事を見、論じるだけでなく、こうした古い事も、調べて歩いてみたくなってきた。
大阪中の隅から、隅まで――それは、その町内の人が、気にもとめないところに、おもしろい話もあろうし、其話に対する、私流の批判――神武天皇東征の時から、明治まで――こういう事は、私の得手では無いが、毎月五七日、大阪へきて、こつこつと調べ、読む事位は、私の為、大阪の為、私の故郷に対して、勉めてもいい。誰か、外にやっている人があるかも知れぬが、私がしたって、差支えないであろうし――私は、一日、歩いて、こんな望を起したのである。
大阪の通俗的な歴史――神武天皇の昔は、少し、昔すぎるが、石山に本願寺を起す時分、即ち、史上に「大阪」の文学の現れてくる時分から、明治まで――一町内、一町内について、その町内にあった事件と人物とを書いたなら――そしてそれに現在からみた批評とかを、加えたなら、と。
多くの保存されている旧蹟もあるが、今の内に、何んとかしておかぬと、廃絶するものもあろうし、名のみ残っていて、跡方もないものもあろうし――そうした物に対して、いくらかの注意がされ、もし、木標でも建てて、一日に一人でも読んで行く人があったなら、それでも、その人は、その町になつかしさを忘れぬであろうと――私は、こんな事を考えて、今日も少し調べたが大仕事であるだけに、きっとおもしろいと思えた。
徒らに、考証、穿鑿《せんさく》のみをしたくないし、現在の吾々と飽くまで交渉のあるように書いて行って、そして、出来る限り、正確な調査をして、と――大阪には、木崎氏とか、南木氏とか、尊敬すべき郷土研究家が多いが、私は、飽くまで興味本位に――。
とうとう、私は、大阪を歩かずにしまったが、四日からこそ、本当に、私は、女の同伴者がなくとも、一日中、大阪をぶらぶらするであろう。それを、私は「大阪物語」と名をつける。
最初に、断った如く「続」というものは、大抵おもしろくないものである。「大阪物語」も、「続」は、おもしろくないが「大阪物語」の間だけは、きっと、愛読してもらえるとおもう。
私は、これから、多くの参考書と共に、東京へ戻って、三月の下旬から、いよいよ大阪を歩き廻るつもりである。本当に、今度こそは――暖かいから、諸君、散歩の時季ですからね。
底本:「直木三十五作品集」文芸春秋
1989(平成元)年2月15
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