御霊文楽座に於て、見受けた所であるが、これは猶大阪人の楽しみの一つであるらしい。東京の女性は椅子席で芝居のみを見て、幕間に食堂で食べ、廊下で、容色と衣裳とを見せる事に、すぐ慣れたが、大阪の女は、もし、松竹が、悉く、芝居を椅子席にしたなら、恐らく、不平を洩らして、拗ねるにちがい無い。
東京の女は「西洋は、こうだ」というと「そう」と、云って食べたいのを我慢するが、大阪の女は「芝居で物を食べたら、何んでいきまへんね」と、突っかかるにきまっている。私は、芝居を見乍ら、食べ、飲み、握手し、接吻することを、決して下等だとは、思わないが、こうした東京の女は、直ぐ新らしさを受入れ、大阪の女は旧風を固守する事に、可成り文化の進歩に、遅速が生じて来たと思っている。
直ぐ、ハイカラ風を受入れる、受入れるに就いての是非は別として、何程かの後に東京風が、大阪へ侵入して来る事だけは確かである。大阪の女が、どんなに頑張ろうとも、芝居はだんだん椅子風になって、食事と別になる事は明らかである。そして、それらの遅速が文化の遅速である。
私は、私の母の如く年に一度しか、芝居へ行かぬ女でさえ、中村鴈治郎を、自分の鴈治郎のように語るのを、知っていた。鴈治郎の声が、何うあろうと、とにかく大阪の俳優鴈治郎が、芝居をしていたら、それでいいのである。そして、いつまででも、鴈治郎で、他に、誰も出て来なくても、十分満足している。
「一寸、やりよるがな、ひいきにしたろか」と、云えば「新声劇」は、十分に、人気を保つことができる。「何や、判れへん。おもろうないな」と、云ったら、何んないい劇団でも、がらがらになる。
大阪の芝居見人種には、この二種が一番多いらしい。だから、いろいろの新劇団が、できるには一番いい所である。目先きさえ見えたなら、少々の事は、無批判で通してくれる。そして、十分、よくなってから、東京へ出てくる。東京で、育つ種類とは、種類がちがう。
ひいきの役者さえ出ておれば、それでいい、旧大阪人と、そういう芝居に慣らされて、その人々以下の観賞眼の、新らしい大阪人と――その二つである。前者は新時代を知らず、後者は、適当の育てようを知らない。二つ乍ら、無批判のまま、己の郷土の劇団の、次第に衰弱して行くのを、黙って眺めている。
坪内士行氏の国民座は解散した。多くの、小劇場運動はいつも、そのまま亡んで行く。亡んで行
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