く者にも多少の欠点はあるが、いつの日か、大阪人も、己の育てた劇場の無いのを、淋しがる日がくるであろう。
東京劇場、新橋演舞場、歌舞伎座、帝国劇場と、華美をつくした劇場をもっている東京が、収支つぐなわなくなるか? 中座程度の小屋で、見物の満足している日が、いつまでもつづくか? 或は、あの小屋担当の俳優しか、芝居しか、見られなくなる日がいつかくるか? 私は、五六年後に、考えなくてはならぬ時に出逢うであろうと、信じる事ができる。
女
私は女は、嫌いでは無い(大抵の女は、好きになるから、或は、こういう、云い方は、まちがって、いるかも知れない)。だから、大阪の女も嫌いではないが(私の、女房は大阪の女である)、どうも――どうも(これは、少し云いにくい所である)少し――少し、物足りない(私の女房だけは別である。失敬)。
それは、私が毎日、こんな理屈ばかり云っている稼業であるからかも知れないが(女の前では決して云わないが)、どうも、断髪の女と交際すると、やきもちを焼いたり(私の女房では、断じてない)、お前は米の飯で、断髪はチョコレートみたいだから、安心しろ、と云っても、何うせ妾は御飯のように、ぶよぶよしていますわ、と、泣いたり、あれは、マヨネーズだと、三年越教えてやっても、そらネズよ、サラダにかける、と、とうとうネズを、小僧にまで、通用させて、今日は、ネズは未だ御座いますか、と云って女中を、びっくりさせたが――東京の女は、手帳の端にでも控えておいて、そら、マヨネズよ。無いって、あらら、マよ、マヨネズよ、位で、一度、赤面すると、覚えてしまう心がけがある。
私は、毎月一度、来阪するが、大阪の女で、ぴったり洋服の似合っているのは、ダンサア位のものである。私の生れた町内の如き、未だに、揚げをつけた洋服をきた少女がいるし、それも、せいぜい十二三までで、齢頃の女が、洋装すると、不品行と、同一に考えている。私の親爺の如きも「ええ齢をして、洋装しとる。あんな娘はあかん」と、主張している。
だが、私の娘の如きは、今年十五であるが、フランスの流行雑誌を買ってきて、自分で注文をして作らせている。私が二十円以下というと、ぷっとふくれるだけで相当な物を見立てている。これが、普通である。
そして、こういう事は、ただ、洋服のみでは無い。和服に於て、大阪の女は、或は、衣裳持ちで、質のいいものを
前へ
次へ
全35ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング