所が、独逸は、大戦中、樟脳の供給が断たれて、火薬の製造に困ったから、これの人工製造を研究して、見事に成功した。そして、日本樟脳は、一斤五円にまで激落してしまった。
 天産に乏しい日本として、科学の発達をさせて、無より有を生じさす以外に、方法の無い事は、判り切っているのに、日本の人々は、科学に対して、甚だしく冷淡である。アメリカの富豪の如き、必ず個人の科学研究所をもっているが、これがアメリカの繁栄を、何う助けているか判らない。
 今日の「サンデー毎日」を読むと「有機ガラス」が、大阪工業研究所の庄野唯衛氏の手で、発明されているがこれである。この一発明が何んなに大阪人を、日本人を富ますか、この新らしい研究に何んという後援者が、いくら金を出したか判らぬが、恐らく、この仕事が、工業化された場合、その利益は、その研究費の何万倍になって戻るか、判らないであろう。
 大阪人が、何故、その富を、こういう風に利用しないか? そこには、金儲けと、国益と、社会への貢献と、いろいろのものが含まれている。エヂソン一人の発明が、七百億ドルに価すると云われているが、十万円の研究費から、何億の富が生じるか?
 私は、大阪人の度胸と、富とがきっとそれに適しているであろうと信じている。私は、明日の大阪をして、発明の源泉地たらしめようと、それを先ず、大阪へすすめて後、私に都合のいい大阪文化の樹立を説きたいのである。科学を最初に――文化的開発を第二に――私の希望はこれである。

  芝居

 私の「南国太平記」を、新声劇で、上演しているので、私は、私の知らない間に知らない母との間に、生れた子供を見に行くような気持で、一寸、覗きに行った。
 私は、いつも忙がしいので(何に、一体忙がしいのか、とにかく、忙がしい。自分ではよく判らぬが、マージャンを、毎晩やるし、囲碁をやるし、将棋をさすし、恋愛をするし、旅行もするし、時々、本を読むし、稀に、原稿をかくし、それで、多分、忙がしいのであろう)、映画とか、芝居とかは、見た事が無い。
 勿論、大阪の芝居などというものは、三十年も入った事が無い。私が、大阪の芝居を見た時分、私の家庭のような貧乏な連中にとっては年中行事の一つであった。私の母親は、前の晩に髪を結って、重箱を造っていた。そして、芝居の中で重箱以外のいろいろの物を買って、食べていた。
 この風俗は後年にも、しばしば
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