私は愛用している。別に私が、大阪に生れたからでなく、昆布は確にうまい物である。
 私の本郷の下宿時代、私の所へ逃げてきた、私の女房(女房になってから、逃げてきたのでなく、逃げてきて、いつの間にか、女房になったのである)が、此奴、昆布好きで、本郷界隈を、隈なく、昆布の為に、歩いて、藪蕎麦《やぶそば》が、天神さんの中にあること、シュークリームが、近くにある事だけを発見して戻ってきた事がある。
 今でも、昆布を求めようとすると、見当がつかない。里見※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]の愛人、お竜さん(これは私の愛人と少し、意味がちがう)が、いつも私が、大阪へ行くと聞いて「昆布を買ってきて」と註文する(尤も、大抵私は忘れて、またと叱られる)。彼女は、江戸っ子であるが、昆布ずきである。多分里見もそうであろう。
 食べると、かくの如く、甚だ、忘れっぽい私にさえ、註文する位に、うまい物であるのに、大阪人はこれを、新らしい商売として、東京へ乗出そうとはしない。宣伝と、製法とによって、無限に生産してくる、この海の草は、十分に儲かるであろうと思う。
 私は、一つの塩昆布でさえ、甘いの、からいの、淡白《あっさり》したのといろいろの店があって、味のちがうのを知っているが、考えるなら粉末とし、加工し、精を抜いて、もっと、種々の製品が出来るにちがい無い。不景気な時の暇な内に少し研究しておいて、無駄にならんことである。
 女給と、料理と、飴以外に、未だまだ大阪特有の品で、販路の拡まるべきものがある。追々それを私は説明して行こう。とにかく私のは谷孫六先生のように、奇才縦横ではないが、相当に金儲け位は知っているのである。
 だが、昆布は、少し、高すぎる。シュークリームなら、二円であろう箱が、七八円である。これは、現在の昆布屋が、考えるべき唯一の点で、将来の昆布屋も、考慮すべき所である。昆布は、もっと、安く、もっと拡まるべきものである。「大丸製昆布」それが、日本中に弘まることは、必ずしも、難事ではない。価値のあるものをして正当の価値に扱わしめよ。私は、私の郷土の名産物として、昆布の不遇を、嘆ずるものである。

  飛行機

 私は、いつものように、飛行機である。東京から、三十円である。マントも帽子も買えない私として、大変高価であるし、人から、贅沢だと、見られているらしい。
 だが、飛行機は、二時
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