うした会で、少々の流行品を買う外、悉く、主人が一人で、熱心に、研究している家で買う事にしている。値は、デパートより高いが、品物に対する知識を得る事が多いからである。
私は、急激に発達するデパートの店員の悉くが、彼の専門的知識をもっていようとは思わ無いが、知識を十分与えるように努力している店主が幾人あるか、聞きたいのである。叮嚀《ていねい》とか親切とかは、既に古い。少くとも、大阪の商人、店員は、品物への知識、それによる客の知識の開発、これが商売を盛《さかん》にする現代的の傾向である――と私は信じる。
昆布
ある百貨店を出て、私は勿論、その街つづきを歩くのであるが――私の、小さい時から大阪名物の昆布店は増えもせず、減りもしないで健在である。
昆布店は、もしそれが東京にあったなら、恐らくは、増えるか、減るか、したであろう。それは、大阪名物であるが故に、東京人をして、一口に、反感を抱かしめて「汚い、昆布を、しがんでやあがる」と、云わしめたが、もし、その効能を、昆布屋の新人が、宣伝するなら、チューインガムよりも販路が広いかもしれない。
昆布の含むヨードは、乾燥してしまって、何う成っているか、私もそこまで研究しないし、第一、そんな事を研究している人も無いが、その味から云えば、生には及ばないでも、相当量に含有している事は明らかである。
時代おくれの副菜物視され、昆布屋に新人が無いから、昔の菓子昆布とか、塩、揚げ、おぼろ位にしか製品が区別されていないが、もし他の物と一所にしたり、昆布のみで他種の物にしたり、生昆布を売出したりしたなら、その栄養価の十分と、その味とによって、もっと東京への侵入を許すであろう。
ヨードが、含まれているから、青年男女は、性病の治療法の一つとして「昆布ガム」を愛用すべしと。これなら、親爺の前で、しゃぶっても、大丈夫である。宣伝と製法によっては「味の素」が、世界的になったように、昆布の出汁は、十分、西洋料理にも、入りうるようになるであろうし、鰹節よりも「昆布エキス」を重宝するかもしれない。
何故、大阪人が、昆布をもっと宣伝し改良し、発達せしめないか、私が昆布屋なら、確に昆布の応用をもっと、広くしていたであろう。
昆布茶は、少し、腹にたまるがうまい物だし(ヨードは確高血圧にも、よかったと憶えている)。塩昆布は、茶漬として淡白この上無しと、
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