るのを見ると、もう一度、大阪の非文化性の罪悪さを云わなくてはならなくなってくる。時として、文化は下らないことであるが、時として、文化的指導者のいないことは、興りうべき物をも興らしめないで終ってしまう。
 私は、大阪人の方が、東京人よりも、遥に、朗らかな、特異的な文化を生み出しうると信じているが、大阪の文化人である、池崎忠孝氏とか、岡田幡陽氏とか、新聞社関係の人々は、決して親切では無い。又、例えば、木谷蓬吟氏の義太夫研究にしても、成長して行く大阪には、何の利益も無い。
 こうした町人文化は、都市にはいつも何処にもある。五井蘭州とか、三浦道斎とか、斎部道足とか、村田春汀とか、その町の将来のことには、何の貢献もしないが、金と暇があるから、こつこつ書きためたというような――そんな文化人は、大阪には、必要ではない。
 何うも、私は歩かないで、理窟ばかり云っている。だが、十回位で終るべき、この記事を書くのに歩いて且書いたなら、それは、百回にもなるかもしれないし、一軒の飲食店を書いても、三日位かかるであろう。何うも、歩かないでもよさそうである。第一に、めきめき寒くなってきたではありませんか、皆さん。

  遊里と酒場

 いつかの「文藝春秋」に、私が酒場で十円のチップを置く、と書いてあったが(その代り、一文も置かぬときもあるとも、書いてあった)※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]である。勘定が、三円|某《なにがし》だから、四五人集まって来たレデー達に、十円出して「釣は入らない」というだけで、三円が、六円になっても、矢張り十円しか出さない(だから、私にサービスしてくれるレデーは、成るべく、酒をのまさないようにする。その方が、私の健康の為にもいいし、彼女の収入の為にもいい)。
 それから、美人座へ、時々行く外(多分美人座では、私が、千早昌子を好きだと考えているであろうが、酒場では、好きでなくとも好きな一人を仮定しておくことは酒場交際法の第一課である。誰も好きでないと云い乍ら、度々行く奴は、馬鹿野郎でしか有りえない)、殆ど、私は、外の酒場へ行ったことがない。将来、行っても、私は、矢張り、十円しか出すまい。
 何うも、私は、昔から、この十円の遊興がすきであるらしい。今でも、新橋へ、年に一度位、遊びに行くが、九時から行って、妓一人で矢張り十円である。プラトン社在勤当時、九郎右
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