魚じま」が済んでも鯛の刺身を食っている。
「自然のままの味」ということはいい事にちがいない、然しそれだけより以外のことを研究していないということは自慢に決してならない。例えば「鶴源」は、十種類の料理で、年中大して変りがない。「鶴屋」へ行くと、きっと、鯛の頭を出す。それを、名物にするのはいいが、それ以上の変化を研究しているのか、居ないのか、一度、料理人に聞いてみたい。
フランス料理の、オードブル(突出し、前菜)は冷たいのが百六十種、温かいのが二百種ある(宮内省司厨長秋山氏談)日本料理の突出しを、何んという料理人が百種こしらえたか? そんな物は拵《こしら》えんでもいいと考えているのか? 作り得ないのか? 作ろうとしないのか? よく、胸へ手を当てて御覧。
東京星ヶ岡茶寮の北大路氏は、この前菜を十六種位出して、一名物を為し、日比谷の花の茶屋も、十種位は作っている。つまり、フランス料理の十分の一である。
百種も、前菜を作ったら、日本料理で、無くなりもするか? それとも、それが、時代と共に変化する料理の道か? 日本料理には材料が無いのか、頭が無いのか?
大阪料理が、東京へ入ったからとて、喜んでいるような根性では何うもあかんと思う。この点、北大路も、花ノ茶屋の井上も同じことで、前菜二十種だけ作っておいて、儲かったら、のん気に、陶器を焼いたり、別荘を建てたりしている。大阪から逃出して、東京で当てた「浜作」も、そろそろ競馬へ行き出した。
何故、料理屋の主人は、料理の研究に、一生を捧げないのか? 江戸風料理の第一人者である「清さん」でも、金儲けに忙がしい。御霊の「福丸」も、親爺が、怠け出した。小金がたまると、悉《ことごと》く、これで、文句を云えば、「大阪料理は生地の料理や」で、済ましている。
何故、それ以上にしてはいけないのか? 何うして、古今東西の料理を研究して、新味を出すに努力しないのか? 僕の頭の如き、生地のままでは、食わせようも無いからにもよるが、読みたいもの、書きたいこと、研究したいことがあって、飽くことを知らない。
僕は、庖丁はもてぬし、今から料理人にも成れぬが、もし、成ったなら、このうまい魚と、いい野菜とを控えている大阪の料理人として、西洋、支那をも研究して、少しは珍らしい物も、作ってみせる。「伊勢屋」が「大市」派のスッポンを食わせるだけで、あれだけ繁昌する
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