違ない」と云ったのと、奉行が「どうじゃ、その方にも」と云ったのとは、間髪を容れない呼吸で畳み込まれた。それに応じて明快に、
「いいえ決して」
 とは中々云えない。誰でも「はッ」と出てしまう。その隙に又追かけて、
「縄打て」
 あざやかな手口、原町へ置いておくには惜しい役人と思ったが、敵討願と云うので、丁度来合せていた領主相馬弾正の御目附、石川甚太夫が自身で調べたのだ。

     五

 翌日、清十郎と九郎右衛門との古主、久留島家へ飛脚が立つ、返書に「相違なし、よろしく」とあるから、公儀御届帳の記載有無を江戸へ調べの使を出す。ちゃんと届出《とどけいで》になっているから、宝暦十二年五月二十四日宇田郡中村原町の広場に十間に二十間という杭を打った縄を張った。芝居講談だと悉《ことごと》く竹矢来を結び廻すが、あれは犯罪人の不穏な連中に対して万一の事を思ったからで、敵討の方は大抵「行馬《こうば》を廻す」と云って杭を打った。
 早朝から一杯の人出、それを五十人の足軽が出て、六尺棒で、
「引っ込め、静かに」
 と、整理する。時刻がくると小目付が侍頭《さむらいがしら》と共に仮小屋の検分所へ入ってくる。席
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