た。
 十内|雀躍《こおどり》して、清十郎を引ずるように、仙台へ行ってみると、確かにそうらしいが居なくなっている。近所で聞くと、
「器用な性《たち》で、一時手習の師匠もし芝居の手伝いなどしていたが、何んでもそう遠くない所に居るとの話」
 と云う。これに力を得て、
「旦那の練った膏薬」
 と流しつつ、磐城《いわき》相馬郡《そうまごおり》へ入ってきた。

     三

 十内、敵の器用な性《たち》を知っているから、もしかとも思うし自分も徒然《つれづれ》のままに寄席へ入った。近頃の寄席だと少し位の徒然では入る気もしなかろうが、昔の寄席は耳学問、早学び、徒然と勉強の二道かけて流行ったものだ。聖代娯楽が民衆と結付いて、活動はさておき、寄席の類さして流行らぬとも思えぬが、それで江戸期に較べるとざっと三分の一は減っているそうである。
 相馬原町へきた江戸の講釈師、牧牛舎梅林、可成りの入りだが、今高座で軍記物を読んでいる四十近い、芸名久松喜遊次という男、講釈師より遊人《あそびにん》といった名だから勿論前座だが、締った読み調子、素人染みているにしては――巧いというのだろう。
「頃は何時《いつ》なんめり
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