つ方がよかろう。それまで其方ともによく剣道を学んでおけ」
と重役からの沙汰があった。清十郎六歳だから九年ある。柚《ゆず》は九年の花盛りと、ずい分長いが、十内乗りかかった船である。何も判らぬ清十郎に、
「坊っちゃん、これが敵九郎右衛門で御座いますよ。さあしっかり、まだまだ」
と、藁《わら》人形の据物斬《すえものぎり》、立木を打つ斬込の練習、宝暦九年まで隣近所で称《ほ》めぬ者の無い位必死の稽古を試みた。
十内の弟に弥五郎というのがある。これと三人、落ち行く先は九州|佐柄《さがら》を逆に、博多《はかた》へ出て、広島、岡山、大阪と探ねてきた。多少の路銀はあるが、京大阪で判らぬとすれば次は江戸だ、出来るだけの節倹をしていたがだんだん心細くなったから当時江戸で流行《はや》っていた「旦那の練った膏薬《こうやく》」と云う行商人、大声に流しつつ、江戸中心当りを求めたが居ない。宝暦十二年の春、ふとした事から豊後訛《ぶんごなまり》のある浪人が仙台で紙子揉《かみこも》みをしていたが、女房と何か争った末、女房を足蹴にしたのが基で死なしてしまった――今どうしているか、多分そのまま居やしないか、と云う話を聞い
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