新訂雲母阪
直木三十五

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)確《たしか》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)村|外《はず》れ

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)うろ/\
−−

[#8字下げ]一[#「一」は中見出し]

「本当にそうか。」
 と、聞かれると、そうで無いとは云え無い。く、とは確《たしか》に聞いたのだから、これは断言できる。然し次の、る、はそう云ったような、云わないような、何《ど》うも明かで無いが、自分が唯一の証人で大勢の中で、美しい寡婦の悄然《しょうぜん》としている前で
「くる、と確に聞いた。」
 と、云った言葉を
「本当か。」
 と、念を押されると、今更、いや一寸《ちょっと》まってくれ、もう一度、耳に聞いてみるからとも云え無い。それに死人に口無し
「くる、と確に聞いた。」
 と、断言したって、それは一寸良心が二三分間疑を挟んでみるだけで、お俊《しゅん》始め、列座の面々はきっと自分の手柄に感謝するにちがい無い。だから
「本当ですとも。」
 と、云い切ってしまった。
「来馬《くるま》では無かろうか。」
 と、一人が一人にこっそり耳打した。そしてその一人は頷《うなず》いた。
「君が、何んと声をかけた時に、くる、と云ったのだ。」
 と、もし聞く人があったなら、来馬への懸疑《けんぎ》はいくらか薄くなったかも知れぬが
「対手《あいて》は? 手懸りは?」
 とばかりしか考えていない若侍共に、そうした探偵法は気がつかなかった。そして、耳打から、小声になり、一番思慮の無い男が
「来馬で無いか。」
 と云うに到って事いささか重大となってきた。
「来馬に限って。」
 と、云う人もあったが
「一応は聞いてみてもよかろう。」
 と云う説も甚だ尤《もっと》もであって反対の余地はなかった。
「お俊とは昔恋仲だったと云う噂も――いや事実もあるからな。」
 と、多くの人は、自分の説に根拠を置いた。そして、三人の選ばれた人、お俊の弟と、親族の一人と、来馬の相弟子とが、来馬の家へ向った。

[#8字下げ]二[#「二」は中見出し]

 もし、その夜、来馬が町へ出て酒を飲んでいなかったなら
「くる、のくるは苦しいのくるで、来馬のくるでない。」
 で、突張れたし、家を出ないと証人に下僕も言ったであろうが、甚七《じんしち》は余り人に聞かしたくない家で遊んでいたから、三人が四角張って
「何処《どこ》へ、今頃――」
 と云った時、むっ、ともしたし、冷《ひや》っともしたし――それに第一、三人の態度が気に入らなかったから
「何処へ?」
 と、云ったまゝ、じろりと目をくれて
「水を持って来い。」
 と云った。
「少し、お尋ねしたい事があって――」
 と、一人は、丁寧に云ったが、来馬の態度に、腹の中は不快である。
「はゝあ、改まって――この深夜に。」
「何処へ、今まで行っていたか、明瞭《はっきり》と仰《おっ》しゃって頂きたい。」
「何故――妙な事を。」
「実は――」
 と、弟の云ったのを一人は目で抑えた。
「お包みなく云って頂きたい。」
「城下へ――」
「城下の何《ど》ちらへ。」
「一体、何を聞きに来られたのだ。君達から行方を聞かれるような――丸で罪人を問うような――」
 来馬は酒を飲んでいた。だから、そう云っている内に
「無礼な。」
 と、頭の中にうろ/\していた言葉が、つい口を出てしまった。
「無礼?」
「無礼だ。」
 何も知らぬ来馬に対しては確に無礼であると共に、三人がこう聞くのも尤もな次第である。だが、勢こゝに来てはそのまゝで納らない。
「無礼とは――」
「帰れ。」
「何をっ――」
「馬鹿めっ――」
 甚七は二人を斬った。一人は死んだ。そして彼はそのまま出奔《しゅっぽん》してしまった。

[#8字下げ]三[#「三」は中見出し]

 何者かに殺された佐々木左門の弟が桑名に居た。甚七は心易い仲であったから、その足で、その家を尋ねた。
「詰らぬ事から、これ/\で――、わしはこれから江戸へ出ようと思うが、少しの旅費と、一夜の宿とを――」
「何をまた、甥などが――」
 と、云って夜更けまで語り、旅費を与えて立たせると、一足ちがいに急飛脚が来た。
「父を討ったのは来馬らしく、その上、人を殺《あや》めて立退いたが、いろ/\相談もありすぐ来てくれ。又来馬立廻った節には召捕えて」
 という文句である。主人はすぐ馬を呼んだ。そして、馬を走らせつゝ、五両も金を与えた事をいま/\しく思った。
 甚七は午餐《ひる
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