は軽々しく信じられぬ。」
 と云った。お新は自分の苦心が、この人々に判らないかと思うと、自分の商売や、世の中が恨めしくなった。そして
「お先へ彦根へ。」
 と云って立上った。お俊は、自分より先に甚七に逢わしたくなかったので
「彦根は※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]《うそ》、入れば召捕えられる所へ誰が参りましょう。」
 と、云うと共に
「お俊、お身は甚七に内通したな。」
 と、きっとやられた。それを聞くと同時にお新は表へ走り出た。
「内通?――そう仰っしゃれば、誰かに来馬様を下手人に――」
「黙れ、不義者。」
「不義は致しません。」
「不義も同然だ、現在夫の敵を――」
「敵で無い事は今の女も――」
「喧《やか》ましい。お身と同道はお断りじゃ。」
「兄さん、それは余り――」
「いや、言語道断の女だ。許しておけぬ。」
 お俊は仕方が無かったしお新に代って、山田の事も知らせたかった。そして淋しい懐中を心細く感じつゝ
「女の一念。」
 と、思って二人に別れた。

[#8字下げ]六[#「六」は中見出し]

 網は可成りに張られていた。甚七の邸で殺された一人が郡奉行《こおりぶぎょう》の倅《せがれ》であったからである。甚七が村|外《はず》れへかゝった時、二人の手先が競いかゝった。それを倒して村へ入った時、大勢の者に取巻かれた。
 大勢と云っても、大勢の八分は村の人間であった。近づけば避け、走ると追う連中にすぎなかった。然し半鐘の音と共に、近在から無数に繰出してくる百姓には、甚七も辟易《へきえき》してしまった。そしてかくれるより外に道が無かったから、木立の茂りから大樹の上と巧に身を躍《おどら》して夜に入るのを待った。
 丁度その最中、お新が通りかゝった。彼女は、それが甚七であると知ると共に、近づこうとしたが村人は押えて一足も動かさなかった。その内に甚七は山へ入ってしまった。お新は三味を抱いて山へ入った。そして、甚七のよく知っている
[#ここから3字下げ]
お前の袖とわしが袖
合せて唄の四つの袖
露地の細道駒下駄の
胸とゞろかす明けの鐘
[#ここで字下げ終わり]
 を弾き乍《なが》ら山を彷徨《さまよ》うた。勿論、この計《はかりごと》は成就した。山の夜更けの三味の音は、甚七の注意を牽《ひ》くに充分であった。
 お新の近くへ、礫《つぶて》の落ちるのがつづくと共にお新は悟った。甚七の姿が、闇の中に立って、声が聞えると共に、このまゝ二人が捕えられてもいゝと思った。
「手紙をみた。有難いぞお新――お新、どうしてここへ、えゝ?」
 そう聞かれると一番に浮ぶのは、美しいお俊の事である。
「お身は甚七に内通したな。」
 と、云われた時の顔、女同士ですぐ判るお俊の心。
「江尻で皆さんに逢いました。」
「江尻で?――今日明日にはこゝら辺を通る筈だが――」
「お逢いなされても無駄で御座んす。」
「いや、身のあかりを立てさえすれば――」
「妾は何うなろうとも――」
 途端に
「御用だ。」
 躱《かわ》して
「命は助けるぞ、道案内せい、お新、一まず京へ参ろう、話は道々。」
 篝火《かがりび》をたいている山下の村々。
「お前の袖と、わしが袖か――」
「旦那いゝお声で――」
「黙って案内しろ。」

[#8字下げ]七[#「七」は中見出し]

 二人の流し。
「こういう生活もいいな。」
 女にとっては
「これに限る――このまゝで居たい。」
 だが、二人が流している時に、通りすぎる駕《かご》には勿論、お俊が乗っていなくてはならぬ。そして、二人が茶店へ呼ばれて上った奥の小間にはお俊がいた。
「こういう姿で無いと昼間歩きもできぬ。丁度人目を胡麻化すにはいい伴《つ》れで。」
 お新は胡麻化し道具にされているのが口惜しいと共に、お俊は胡麻化されているようなのが口惜しかった。
 こういう場合、男女の何《いず》れにとっても最上の方法は三人共別々になる事である。
「何よりも先に山田を捕えて白状させなければ――」
「お新は一まず元へ戻り、お俊殿は山田の様子をさぐりに、私は京へ出て知らせを待つとしよう。」
「では途中まで――」
「いや、こうきまる上は、北国を廻って安全な道を、京の宿所《しゅくしょ》は妙心寺内。」
「そうきまれば、お新さんと私は――」
「いいえ、妾は一人で――」
「では、――御無事に。」
「妾は元へ戻りませぬ。」
「何うして?」
「さあ、何うなりますやら――お俊さま。」
 却説《さて》、山田某。女共の軽い口からちらちら洩れる噂も気になるし、折柄の坂本警護を、いゝ機《おり》に、彦根を出《いで》、江洲へ行った。お俊が戻ると共に、この事を知ったのは勿論である。そして、これも勿論その由を、すぐ京へ知らせるべく彦根を出た。それから、お新が、この女も勿論、山田が坂本へ行った事をさ
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