顔色を変えて、布団へもぐった。そして
(いよいよきた)
 と、思った。

    二十八

「何故、正成は、死んだか? 討死をしたか? 死なずにすむ戦であったか、免《まぬが》れぬ戦であったか、は、別の論議としておいて――」
 大作は、師範席の上へ、布団も無しに端坐して、書見台を前に、道場の板の間に坐っている人々を見廻しながら、講義をしていた。
「つまるところ――身を滅ぼして、志を千載に伝えるという心懸けからであった。もし、正成が、尊氏|謀叛《むほん》の前に――即ち、功成り、名遂げて、病死してしまっていたなら、正成の一生としては、仕合せであったであろうが、果して、千早挙兵の志が、今日の如く伝わったであろうか。ここだ――」
 外は、明るい陽であったが、高い、狭い武者窓からしか入って来ない光に、道場の中は、静かに、落ちついていた。門人達は、膝一つ動かさず、咳一つせずに、聞いていた。大作は
(いつ、召捕らえられてもいい、誰かの胸に、このことは、刻まれるであろう)
 と、考えていた。
「正成は、それを知っていた。だから、河内の一族に、十分、後のことを頼んでおいて、自らは、大義大道のために、死をもって、その志を鼓吹したのだ。湊川の悲壮な戦――七百騎で十万騎と戦った十死無生の、あの合戦。この悲壮な合戦、この凄愴な最期があったればこそ、正成の志は万古に生きることになった。人は、この戦を思うと、楠氏の志は必ず、思出す。即ち、正成の志は元弘、建武の御代を救うにあっただけでは無く、万代、人の道を教えるのにあったのだ」
 門人達は、頷いた。
「拙者の志は、正成公と、比較にならん位小さい。然し、一死以て、君国に報じるだけの決心は致しておる。何時召捕られる身かしれぬ拙者として、皆に申残しておきたい。第一のことはこの心掛けじゃ。碌々として生を貪る勿《なか》れ。三十にして死すとも、千載に生きる道を考えよ、と、これ平山子龍先生の教えにして、又、拙者自ら、いささか行うたところの道である」
 大作は、よく澄んだ大きい声で、説いて行った。徳川二百年の間に、比類無き、放れ業をした関係から、目の当り、その志を聞いた人々は、身体を固くして、聴入っていた。
 武者窓から覗き込んでいる小僧、町人、職人達は、耳を傾けたり、一心に大作の顔を、よく見ようとしたりしていたが、門人達の静粛なのを見て誰も、一言も口を利かなかった。
「昔、支那に、文天祥という人があった。その人の詩に、正気《せいき》の歌というのがある」
 大作は、こういって、見台の上の本を披《ひら》いた。

    二十九

 女狩右源太は、詰所へ戻ってきて、押入れから、捕物の支度の入っているつづら[#「つづら」に傍点]を、引出した。
(皮肉なことをいやがる。どうも、俺より一枚上手らしい)
 そう思って、脚絆、鎖鉢巻、鎖入りの襷、呼子笛、捕縄を取出した。
(何事も、眼をつむっているから、大作を、召捕って参れって――自分達は、命が惜しいものだから――)
 足音がして、朋輩が入ってきた。
「右源太も行くのか?」
「うん」
 右源太は、脚絆を当てていた。一人は、薄色の紬の羽織を脱いで、同心らしい、霰小紋の羽織に着更えた。
「いよいよ本物の大作だから、一つ、手並を見せて頂くとしよう。道場では、負けぬが、何んしろ、一度は、大作の首を上げた御仁だからの」
 一人が、板壁に立ててある突棒をとって、しごきながらいった。
「拙者が、案内を乞う。取次が出てくる。押問答になる。それだけ――まず、命に別条の無い方へ廻りたい。百石の御加増はいらんが、命はいる。拙者は不用だが、あの妓《こ》がいると、おっしゃる。はいはい左様で御座い」
 一人は、平服のまま、そんなことをいって、人々を眺めていた。
「一人、二人で懸かれる相手か。皆、水盃だ」
 右源太は、吐出すようにいった。組下の足軽共が、玄関へ揃ったらしく、騒がしい話声が聞えてきた。
「大抵の咎人は、逃げかくれするから、こちらも忍んで行かなくてはならんが、大作へは、まるで、戦支度の気持だのう」
「念のために、刀を三本位差して行くか」
「大作が手練者《てだれもの》の上に、飛道具があろうし、門人の加勢も見ねばならず――」
「拙者は、そう心得て、胴を下着の下へつけて参った」
 一人が、自分の胸を、どんと叩いた。こつと音がした。
「拙者も」
 と、いって、一人が部屋を走って出て、稽古道具の方へ行った。右源太は、その人々の走るのを見ると同時に
「待て、わしも」
 と、叫んで、柱に、ぶっつかりながら、道具部屋の方へ追っかけて行った。

    三十

「捕物だっ。大捕物だっ」
 と、街の人々は、口々に叫んで、走ったり、走って入ったり、走って出たり――そして、役人の後方をつけて
「ならん」
 と叱られたり――一行が、大作の住居の、隣町まできた時、行く手に待っていた北町奉行の人数が挨拶にきた。そして、表と裏と、町の抜け路――要所要所に、人数が配置された。
 役人は、騒ぎ立てようとする町家の人々を、低く叱り、眼で制して、大作の道場の方へ近づいた。武者窓に縋りついていた人々は、役人の姿と、近づいてくる同心衆の十手を見ると、周章てて逃出した。二三人の同心が、人々の逃げてしまった武者窓へ近づいて、顔を出すと、一人の門人が立上ってきて
「何用か」
 と、怒鳴った。道場の中の門人達は、一斉に、窓の方を眺めていた。その正面にいる大作は、暫く窓の方をみていたが
「これまで」
 と、叫んだ。役人は
(大作は、感づいたな)
 と、思った。そして、右腕を揚《あ》げた。
「役人か」
 と、二三人の門人が叫んで、窓へよると共に、門人達は、一時に、立上った。役人は、身体を引いて
「油断すな」
 と、叫んだ。十手、突棒、袖がらみなどを持った手先、足軽が、門から雪崩れ入った。それと同時に木戸口から、門人達が出てきた。
「妨げすな」
 と、走ってきた役人が叫んで、得物を構えて、立止まった。
「妨げすな、決して――」
 真先の門人は、蒼くなって、立ちすくんでしまった。同心が
「素直に立去れば、咎めは御座らぬ」
 と、いって、道一杯になっている役人に
「開けて、開けて」
 と、手を払った。その間に、十二三人の役人は、柴折戸《しおりど》から庭の方へ廻って行った。門人達は、役人にお辞儀しながら、次々に出て行った。

    三十一

 一人が、玄関から
「頼む」
 と、いって、片足を式台へかけた。それは、武家に対する、形式的な挨拶であった。返事をしても、しないでも、次には、土足のまま、踏込むのであったが、誰も彼も
(飛道具が――)
 と、思っていた。そして、鉄砲が現れたら、音がしたら、地面へ平伏しようと、身構えていた。
「どうれ」
 答えがあった瞬間、二三人の役人が、首をちぢめて、かがもうとした。正面へ、大作が、素手で現れて
「御苦労」
 と、いった。真先の二三人は、式台から足を降ろした。同心も、与力も、暫く黙っていた。
「召捕にか?」
 役人は頷いたり、目で頷いたりしたが、大作の素手が、何をするか知れぬ不安さに、呼吸を殺していて、答えられなかった。
「神妙に致せ」
 と、役人の中央にいた与力が叫んだ。
「とくより、覚悟を致しておる。お出向きか、南か、北か?」
「双方からじゃ」
 大作は、微笑して
「大勢、見えられたのう」
「神妙に致せ」
「はははは」
 大作は、笑った。
「召捕れ」
 門際にいた曾川が叫んだ。後方《うしろ》の方の役人が、得物を構えた。
「着替え致す間、猶予願いたい」
 曾川が
「成らん」
 と、叫んだが、真中の与力が
「誰か、ついて参れ」
 と、叫んだ。
「狭いところゆえ、大勢は困る。両三人見届けに蹤《つ》いてくるがよい。誰がくるな」
 大作は、いつもの鋭い眼で、見廻した。誰も、動かなかったし、答えもしなかった。
「踏込め、踏込め」
 曾川の声であった。大作は、その声の方を見た。藤川が[#「藤川が」はママ]眼を外《そ》らしめた。
「その方」
 と、大作は、前から二列目に、俯いている右源太へ、眼をやった。朋輩が、右源太の背を突いた。顔を挙げると、大作の眼が、じっと睨んでいた。右源太は、さっと、蒼くなって、膝頭が顫えてきた。
「その方、いつか、国許で、逢うた仁じゃのう、顔見知りに、ついて御座れ」
 朋輩が
「行けっ」
 と、背をつついた。
「怖いか?」
「何?」
 大作が
「心配することは無い。役人の一人や、二人斬ったとて、何んになる」
 右源太は
(そうだ。大作は、そういう人間だ)
 と、思った。そして
「参る。拙者、参ります」
 と、叫んで、憑《つ》かれた人のように、ずかずかと、玄関へ進んだ。
「よし、一人でよい。それとも、もっと参るか?」
 と、いったが、誰も、答えなかった。大作が、奥へはいると共に、右源太は、敷居につまずきながら、ついて行った。

    三十二

 大作は、帯を解きながら
「あの時の男か?」
「はっ」
「あの時は、危なかったらしいの」
「はっ」
 庭の方に、役人が立っていたが、大作と、右源太とを、じっと眺めていた。与力の一人が、走ってきて、何か囁いて、そのまま、二人に眼をやっていた。右源太は、厳粛な顔をして、立ちながら、小声で
「はっ、はっ」
 と、答えて、腋《わき》の下に、冷汗を流していた。大作は、薄い柳行李から、袴を出しながら
「あの節は、拙者を調べにでも参ったのか」
「はっ」
「わしがおったのでよかった。もしおらなかったなら、撲《なぐ》り殺されていたかもしれん」
「忝のう[#「忝のう」は底本では「悉のう」]存ず――」
 と、までいって、右源太は、頭を下げて、周章てて、又上げた。大作は、帯を締めて、袴をつけて床の間の刀をとった。右源太は、眼を閉じていた。
「刀はあずかるであろうな」
「はい」
「では――」
 大作が、大刀を、右手で、差出した。
「はっ」
 右源太は、両手で受けた。三尺余りの、長くて、重い刀であった。
「拙者一人に、大勢がかりで、ちと、見とむないの。そうは思わぬか」
 と、いいつつ、四辺を見廻して
「何も無し」
 と、独言をいった。そして
「御苦労――はははは、少し、蒼くなって、顫えているの」
「はっ」
「役人などに、恨みは無い。恨みの無い者は斬らん。妨げるなら、格別、志を達した上はのう――その方一人の手でも、召捕らえられてよい――何うじゃ」
 と、大作は、微笑して
「縄をかけるか」
「いいえ」
「その胆もあるまい」
 大作は、そういって、ずかずかと、玄関の方へ出て行った。
(しまった。縄をかけたらよかったに――いや、この調子なら、頼めば、首でもくれたのに――えらい物を逃がした)
 右源太は、頭の中一杯に、残念さを感じながら、刀をもって、小走りに、玄関へ走って出た。
「道を開けい」
 大作が、叫んだ。役人が、道を開けた。
「脇差をとれ」
 与力の一人が叫ぶと
「武士の作法を御存じか、それとも、縄にかけるか?」
 大作は、佇《たたず》んで、じっと睨みつけた。右源太が
「刀は、あずかっております」
 と、両手で、捧げてみせた。与力の一人が
「神妙の至り、一同、十分に警固して、このまま送れ」
 と、叫んだ。右源太は
「重い刀だ、何うだ、誰の作か、判るか」
 と、笑いながら、朋輩に話かけたが、朋輩達は、黙って、人々の波と一緒に、歩き出した。
(ざまあみろ。俺の手柄を見ろ。運のいい人間って、こんなものだ)
 見知らぬ役人が
「よい度胸で御座るな。今日の手柄は、御身が第一。褒美が、たんと、出るで御座ろう。お羨ましい」
 と、いった。一人の役人が
「その刀を一寸」
 と、いって、そっと、鯉口を抜いてみた。朋輩の外の役人は、右源太の周囲へ集っていた。与力の一人が
「見事な刀だの、貸してみい」
 と、声をかけて近づいた。右源太は
(もう、大丈夫だ。贋首を討ってよかった。本物が捕えられて、俺が、これだけ手柄をした以上、贋首と判っても、心配は無い。しかし、大作め白洲で、喋りはすまいか――いや、あれほどの豪傑
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