て行った。
二十三
曾川甚八は、右源太を睨みながら
「聞いたであろうな」
「はい」
「何んと申訳する? 上を欺いた罪――」
「いえ――」
「黙れ。その方の申し分を信じて、お上へ取次いだる拙者の面目、何んとなると思いおるか? 拙者を盲目にして、お上を欺いて――」
曾川は、拳を顫わして、声を大きくしてきた。
「恐れながら――」
右源太は、真赤な顔を挙げた。
「お言葉を返して恐入りますが、手前――昨日捕えられました大作は、似而非者《えせもの》と心得まする?」
「何?」
「或は、手前の討取りましたる大作が、似而非者で御座りますか――その辺、いかがかと存じまするが、相馬大作なる者は、三人も御座りまして、何れが本物やら――いろいろと南部領にて、取調べますと、判らないところが御座ります。白沢の駅で大銃《おおづつ》を放とうと企てたのが、真正の大作か、渡し舟のが、当の本人か、どうも、出没自由にて、稀代の曲者と心得ます。手前の、討取りました大作も、その中のたしかに、手前の兄を殺しましたる、大作に相違御座りませぬが、外にも、どうも大作がいるらしく――それゆえ、大作を一人とお心得下されましては――と、恐れながら、御賢察下さりますよう――」
右源太は、こういって
(吾ながら、うまい)
と思った。
「ふむ」
曾川は、暫く、黙っていたが
「同一人が、三、四人も居ると申すのか」
「はい」
「それなら、それで、何故早く、そう申さん?」
「はい――余り奇怪な事柄ゆえ、或は、お取りあげに――」
「重大なことではないか。その方一存で、胸の中へしまっておくべき事柄とは、ちがうではないか」
「恐入りまする」
「今一応取調べるが、その方の討取ったのは確に、相馬大作であろうな」
「はっ」
「よし退れ」
「お耳に逆らって、恐入ります」
右源太は、心の中で、微笑しながら、詰所へ退ってきた。
二十四
「大作が二、三人いる? 馬鹿なっ」
と、一人が、怒鳴った。
「いや、いる」
右源太は、はっきりといった。
「相馬大作は、下斗米将実《しもとまいまさざね》では無いか? 平山塾へいって聞けばすぐ判ることだ」
「然し、下斗米将実だけが、相馬大作と名乗っているだけでは無い、外に――」
「昨日の相馬大作、あれ一人だ。あれが下斗米だ」
「では、拙者の討取ったのは、同名異人だと申すのか?」
「そこが判らん」
「判らずに――」
「いいや、大作は、中々の腕だからのう、世の中には、似た者が、いくらもあるし――」
右源太は、膝を立てて
「贋首《にせくび》だと申すのか」
と、怒鳴った。
「怒っては困る」
「不届ではないか? 上のお眼鏡まで、汚すではないか」
右源太が、こういった時、襖を開けて、足早に入って来た一人が
「昨日の大作は、本物でないぞ、あいつは、大作の弟子の関良輔という人物じゃ」
「ええ?」
右源太は、微笑した。そして
(俺は運のいい人間だ、そうだろう。大作が、のこのこと江戸をうろつくものか、津軽とて、黙って見逃してはおくまいし――何うだ。うまく行く時には、うまく行くものだな)
右源太に反感を、疑惑をもっていた朋輩は、顔を、一寸赤くして
「関良輔?」
「うむ」
「奉行所で聞いたのか?」
「聞いてきた。追っつけ此処へも、回状がくるであろう」
「ふうむ」
朋輩は、腕組をして俯いた。
「相馬大作が一人でないことは、南部まで行かんと判らん。大名相手の大仕事を、一人や二人で出来るものかを考えずとも、判りそうなものじゃ」
右源太は、静かにいった。右源太を、平常から軽蔑していた上に、今度の加増で、反感と、嫉妬とをもっていた人々は、右源太に、こういわれて、じっと、横から、その顔を睨みつけていた。白々とした空気が、部屋一杯になってしまった。
二十五
「何うでえ、野郎。日本中の胆っ玉を、一人で買集めたってんだ。ええ、何うでえ」
と、職人は、大声を出していた。新らしい槻の板に
「実用流軍学兵法指南 相馬大作将実」
と、書いたのが、門にかかっていた。黒塗の門で、石畳が七八間も、玄関までつづいていて、その左側に、道場があるらしく、武者窓が切ってあった。
看板の前に、大勢の町内の人が集って、口々に、話合っている。そして、侍が近づいて覗き込むと
「どうでえ。これがほんとうの勇士ってんだの、百万の敵中へ、たんだ一騎、やあやあ近くば耳にも聞け、遠くば鼻で嗅いでみよ――」
「ほほう、大胆な仁だのう」
侍が、呟くと
「一番手合せなすったら?」
「立合せか、花かるたなら致そうが――」
「こいつは話せる、旦那」
と、いっている間に、薄色の羽織、小粗い仙台|平《ひら》の袴の侍は、去ってしまった。
「ああいう侍ばっかりの中へ、何うでえ、町内の誉だぜ。又来た、来た」
一人の侍が、眺めてみて、首を振って
「不敵不敵」
と、呟きながら行った。
「あん畜生、余り女郎買して、鼻が無くなったんだろう。素的素的ってのさ、不敵不敵って、いってやがらあ」
「しっ、聞えるぜ」
「ほっ、又来た」
一人の若侍が、小者に、何かの包を持たせて、人々の中を、玄関へ入って行った。
「ほっ、弟子入りだ。しめしめ、出てきたら胴上にしちゃえ」
珍らしい物、珍らしいことを、何よりも好んでいた江戸の人々は大作の放れ業を、大胆さを、渇仰《かつごう》して、超人のように称《とな》え出した。町内の人々は、自分の仕事をすてておいて隣りの町へ、自慢に行った。隣りの町の人々は、すぐ見に行って、その隣りの町の人々へ先に見てきたことを自慢した。そうして相馬大作の顔を見ようとする男、女――子供、老人、あらゆる人々が、往来一杯になる位に出てきた。役人がきた。人々は、動揺した。役人が戻った。
「今に大捕物があるぜ」
と、噂した。そして、徹夜までしたが、何も無いと知ると
「役人も手がつけられねえ、八十人力だというからのう」
とか
「邸の中に、お前、地雷火が伏せてあるんだとよう」
とか、話をした。そして、相馬大作の再現は、江戸中へ、拡がった。
二十六
大作は縁側へ出、庭に向って、毛抜きで、頤髭《あごひげ》を抜いていた。
(何時捕えられるかもしれぬ――いつ、捕えられてもいい)
邸の外では、群衆が、大作に聞える位の大きい声で、口々にその素晴らしい、英雄的行為を称《ほ》めていた。大作は、眼を険しくして、眉をひそめて
(町人共は、わしを称めている。然し、あいつらに、わしの行いは判るであろうが、わしの志は判るまい――だが、それは無理も無いことだ。町人までが、わしの志の判る世の中なら、それは堯舜《ぎょうしゅん》のような時代だ、老中、重役共でさえ、大義が何んであるかを知らない時世だ。こういう世の中において、義を述べんとする者は、死を以《もっ》てなすより外にない)
大作は、褌《したおび》を新らしくし、下着を取替えて、いつでも、召捕られる用意をしていた。
「入門者が、参りました」
と、新らしく召抱えた田舎出の老人が、いってきた。
「入門者?」
「はい、若い、御大身らしい方で、御座りますが」
「客間へ通しておけ」
大作は、そういって
(奉行所からの廻し者であろう)
と、思った。そして、頤を撫でて
(こうしておけば、十日、二十日、牢屋におっても、むさくるしい顔には成らん)
と、考えながら、客間へ立って行った。
客は、黒縮緬の羽織に、亀甲織の袴をつけた、若い侍であった。挨拶を済ますと
「入門を、お許し下されましょうか」
と、いった。大作は
(奉行の手の者では無い。それにしても、物好きな――)
と、感じると同時に
「相馬大作は何者で、何をした男か、御存じの上か?」
「心得ております」
「咎めを受けることがあるかもしれぬが、御承知か?」
「義を、道を学ぶ者として、俗吏の咎め位を恐れて、何と致しましょう」
若者は、その当世風の着物に似ず、しっかりした口調でいった。大作は、微笑して頷いた。そして
(世間は広い。こんな若さで、こんなことをいえる侍も居る。矢張り、道は、同志のあるものだ)
と、感じた。そして
「門人連名帳へ署名血判なされ」
というと同時に、若者は
「御免」
と、いって、脇差から、小柄を抜いて、左の親指へ当てた。
二十七
病気と称して、引籠ってしまった右源太は、生薬《きぐすり》屋から買ってきたいい加減の煎じ薬を、枕元に置いて
(さあ、困った)
と、布団の中で、眼を閉じていた。
(どんどん門人は増えるそうだし、見に行ってきた同心、手先の奴等、口を揃えて、あれが正真正銘の大作だ、女狩の討取った大作は、贋の大作だと――それもいいが、関良輔の馬鹿野郎め、白洲で、天下に大作はただ一人だと、自分も大作と名乗った癖に――師の名を汚しましたる罪などと――余計なことをいやがって、一体、俺は、何う成るのだろう?)
隣り長屋の人が出て行っても、裏通りを、誰かが通っても、呼出しに来たのではなかろうかと、びくっとした。
(うまくいい抜けておいただけに、俺は、余計憎まれるにちがいない。重ければ、追放、軽くて、知行半減――首のつながるだけが、目っけものだが――知行が半分になっては、あの女には第一逢え無くなる)
女狩は、自分に、不相応な、水茶屋の看板娘が、大作を討取ったという名に惚れて、好意を見せているのを、しみじみと考えた。
(女の方は、何うにでも誤魔化せるが、お上は一寸、今度は嘗め切れない――何んて馬鹿野郎だろう。あの大作って奴は――いいや大作が、命知らずなのよりも、のめのめ捨てておくお上の気が知れぬ。いやいや、お上より津軽が、何故、早く刺客を出して殺してしまわ無かったのか? 大作に、あんな真似をされちゃ、まるで恥の上塗りではないか?――だから殿様が、二人もつづけて殺されるのだ)
女狩は、いろいろと、上のことを考えている内に
(勝手にしろ)
と思った。そして
「馬鹿共っ」
と、呟いた。
「俺のことをとやかくいえるか?」
女狩は、こう口へ出していってみて
(第一、幕府からして、いい加減なことをしているでは無いか。檜山の横領など、世間もよく知っている横領だ。上で、こんなことをしていて、俺のことだけ咎める?――そんな理前《りまえ》に合わんことがあるか? 第一、曾川甚八が町人からの附け届けで、妾宅を構えているでは無いか?)
右源太は、曾川の妾と、自分の水茶屋の女とを較べて
(あんな妾に、大金を使いやがって――)
と、軽蔑した。
(大体、朋輩共も朋輩共だ。俺の出世を嫉んで、俺を陥れて手柄にしようなどと――仮令《たとい》贋首でごまかしたって、俺は、大作を討ちに行っているぞ。それだけでも、俺の朋輩中では、俺が一番えらいのだ)
右源太は、そう考えて、いつか、大作の姿をみた時の、百姓家のことを思出した。
(田舎の奴は、気も、腕も強い。本当に、あの時は、恐ろしかった。大作は、江戸でも人気者だが、江戸で、彼奴を討取ったって、誰も、俺を殺しはすまい。お祭り騒ぎをしているだけだからなあ――一つ、大作を、討取るか? 本物の大作を――)
右源太は地下で苦笑し、憤っている、兄の顔を想像したが
(兄の意気地無しめ――俺を、恨む度胸があるか?)
右源太は誰よりも、勇気があって、誰でもしている位の誤魔化ししかしていないのに、一寸したことからでも、手柄を覆《くつがえ》そうとしているらしい人々に、腹が立ってきた。
(大作が怒るのは尤もだ。檜山のことなど、奉行所へ訴えたって、勝てるものでは無いからな。お裁を見ていたって、町人には厳しいが、少し羽振りのいい、旗本だと、邸内の博奕《ばくち》位は、皆大目に見ている。それが今の時世だ。俺が、大作だったって、津軽を殺すより外、腹のもって行きどころが無いだろう。大作がえらいって――当り前だ。あいつ一人が人間らしいのだ)
右源太が、こう考えてきて、自分の運命のことを忘れかけた時
「女狩」
と、表に呼ぶ声がして、戸が叩かれた。召使の爺が
「はい」
といって、開けに行った。女狩は、
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