、縁側から首を伸ばして、眺めていた。右源太は、油紙を一枚一枚|剥《は》いで、布をとり、綿をとって、蒼白《あおじろ》くふくれて、変色している首を剥出《むきだ》した。
「やー、遠路ゆえ、面体損じておりまするが」
と、曾川の顔を見たくないので、俯いたまま、左手を添えて、首を差出して、平伏していた。
首は、睫毛は抜けていたり、脣の皮は剥けてしまっていたが、大作らしい面影は、十分に残っていた。
「何うじゃ」
と、曾川は、左右へ聞いた。
「そうで御座りましょう」
と、二三人が、答えた。
「女狩、何か、外に、証拠の品は?」
「外にと申しますと?」
「刀とか、懐中物とか」
「生憎く――御承知の如く、彼大作なる者は、十分に変装致しておりまして、手前、討取りまする節は、小者の姿でおりましたが――」
「成る程――して、中々、手者《てもの》だと聞くが、尋常に名乗りかけて討ったか」
「中々――お恥かしい話で御座りますが、欺して討取りまして御座ります」
「欺してな?」
「尋常の太刀討では、手前共、五人、七人かかろうとも敵いませぬゆえ、酒に酔わさして、縄で足をとって、倒れるところを、斬りまして御座ります」
「左様か、何れにしても、討取ればよい。追って、褒美の沙汰があろうが、疲れておろう、戻ってゆっくり休憩するがよい」
右源太は
(ここさえ無事に通ればよい。全く、芝居でもする通り、首実検は、危ない仕事だ――いいや、危ないように見えていて、昔から、やさしいことらしい。死顔と、生顔とは相好の変るもの――)
と、肚の中で、仮色《こわいろ》の真似をしてみた。
十九
湯の中は、薄暗くて――乏しい光と、濃い湯気とで、すぐ側の人の顔さえ、判らなかった。
[#ここから3字下げ]
白いお馬は、主かいな
今宵帰して、いつの日か
濡れにくるかや、しっぽりと
抱いて、あかした移り香の
さめて、果敢《はか》なや、肌寒の
朝の廓の霜景色
霜にまごうか白い馬
[#ここで字下げ終わり]
「とくらあ――あちちちち」
一人の若い衆が、湯の中から、飛上った。
「気をつけろ」
「御免なせい。こりゃお侍さんだ。申訳御座んせん。余り、熱いので、つい――」
「いいや、そう謝らんでもよい」
「お侍さん、何う思いなさいます。あの相馬大作って人を討取ったって奴を?」
右源太は、はっとして
「うむ、何うしたと?」
「南部の忠臣、相馬大作を討取るなんて、高師直《こうのもろなお》みたいな野郎じゃ御座んせんか」
「そうだのう。たった一人で、津軽二十七万石を向うへ廻しての大働きだ。俺あ、当節、贔屓《ひいき》にしているのは、一に大作、二に梅幸」
「三に横丁の子守っ子さ」
「誰だ、誰だ、こっちい出て来い。面あ出せ、面を」
「御覧に入れるような面じゃねえんで――」
「政公か、こん畜生――何んしろ、やることが、気に入ったね、大砲を山へもち込んで、だだあん」
「こら、耳のはたで、びっくりすらあな。ほら、女湯で、子供が泣き出したわな」
「ばばばあーん、これぞ、真田の張抜筒」
右源太は、光の届かぬ、湯の中の隅へ入って
(南部だけでなく、江戸にも、人気があるらしいが――もし、江戸へでも、現れたなら)
と、心臓を固くして、額の汗を拭いていた。人々は
「大作のお師匠さんの、平山行蔵ってのは妙な仙人だが――」
「大作って先生も、近頃の世間の奴らは、遊びにすぎて、といい出すと、うるさいって、村山の若旦那も仰しゃってたけれどもが、俺ら理窟抜きに好きだわな。芝居ですると、団十郎だ」
「芝居でも、船の底へもぐるなんざ出来やしめえ。俺ら、明日から一つ、贔屓《ひいき》にして――墓は、何処だろうな。一つ万燈を立てて、町内で、お参りしようじゃねえか。こんなお墓の石をもっていると、女の子に振られねえぜ。政公なんざ、石塔ぐるみ、背負ってるといいや」
「へん、背負っているのは、女の子だ」
「何を、借金と灸《きゅう》のあととだろう」
「一体、何んて野郎が、大作を討ったのだい」
「さあな、聞いてたが忘れたが――」
「そいつの邸へ、犬の糞を、投込んでやろうじゃねえか。ねえ、お侍さん、御存知じゃありませんか――おや、いねえぜ、二本棒あ」
「何んじゃ」
「うわあ、お出なさいまし、今晩は?」
右源太は、頭から手拭をかぶって
「熱い熱い」
と、いいながら、出て行ってしまった。
二十
「羨ましいな、右源太。当節、百石の加増など、一生かかっても、有りつけんぞ」
玄関際の、詰所――小さい庭から、差込む明りだけで、薄暗くて、冷たい、部屋の中で朋輩の一人がいった。
「そうでも無い」
右源太は、扇子を、膝へ立てて、羽目板へ凭《もた》れて、微笑していた。
「まず、重役に妾の世話をするか――己の娘を、差上げるか、そんな例は多いが、これこそ、槍先の功名に等しいからのう」
「然し、町人共は、よく申さぬな」
と、一人が、口を出した。
「平山行蔵を始めとして、あの門下一党は、世の中を、罵倒して、上役人の無為無能、下人民の奢侈、怠惰を口汚く申しておるが、江戸っ子はおもしろいものだ、そんなことは、蛙の面に水、大作を、役者に見立ててこの狂言大当りなどと、二枚画を出して、叱られた双紙屋さえあると申すのう」
「そうらしい」
と、右源太は頷いた。そして
「武士の作法で討つなら仕方があるまい」
といった。
「ところが――右源太」
と一人が、声を低くして
「大作が、もう一人いると申すでは無いか」
「ええ?」
「見かけたという奴が、確《たしか》に、相馬大作で、然も、平山子龍の邸から出てくるのを見たというが、何うもおかしいの。討たれた奴が白昼出るのは?」
右源太は、黙っていた。そして
(本当だ)
と、思った。
(戻ってきているのかもしれぬ。然し、大手を振っては歩きはすまい。二度と、人に顔を見られるようなことはすまい。そんなことをしたなら、身の破滅だからな――俺は、何処までも、そいつは、他人の空似だと頑張っておればいい。もし、本物と判ったなら――その時は、その時だ)
「妙でないか」
一人が、右源太の顔を見た。
「他人の空似ということがあるからの」
「それはそうだ」
「然し、その男は、確に、大作だと申しておったが――」
「証拠でもあるか?」
「ちらと見ただけだが――」
「はははは」
右源太は、おっかぶせるように笑った。そして
「そんな話より、岡場所のことでも、話そうでは無いか、何んなら、今夜一つ奢ろうかの」
「結構、一つ、あやかりに――」
「又もや、御意の変らぬ内、拙者一足先へ参っておるとしようか」
と、一人が片膝を立てた。
二十一
だあーん――それは、その近くに住む人が、生れて以来、聞いたことの無い音であった。その近くで、その音を立てたなら、死罪に処さるべき、鉄砲の音であった。
(鉄砲だ)
と人々は、ぎょっとすると共に、窓を開けたり、跣足のまま走って出たり――往来の人々は、音のする方を眺めて――新らしい橋の橋外の柳の木の辺に、行列の人数の乱れているのを見ると共に――小僧は徳利を小脇にかかえて、溝沿いに、恐る恐る走ると、侍は刀を押えて、町人は顔色を変えて、走り出した。
人の騒ぐ姿、罵る者、橋外へ来かかった津軽の行列は槍を傾け、挟箱持は濠端《ほりばた》へ逃げ、駕籠《かご》はよろめきながら、人数の乱れる脚の真中に――そして、柳の木の下には白い硝煙が、薄く立ち昇っている。
「津軽だ」
と、挟箱の金紋を見た侍が、叫んだ。
「津軽さんだ、津軽さんだ」
群衆は口々に、叫んだ。
「相馬大作じゃないか」
と、いった時、橋の下に、動揺している侍、白刃、その中に囲まれている人があるらしく
「津軽近江を討取ったのは、相馬大作じゃ。檜山横領の不義をたださんがため、相馬大作津軽公を討奪《うちと》ったり」
群衆は、わーっと喚声を挙げた。津軽の駕籠は、すぐ、角の、酒井出羽の邸へ、押されるように入ってしまった。挟箱、草履《ぞうり》、御槍の人々が、そのあとを、追って行った。駕籠脇の侍が二十人余り、橋の下の一人を取囲んで、白刃の垣を作っていた。
「やれやれ」
と、群衆が叫んだ。いろいろの人々が、四方から集ってきた。
「津軽が、討たれましたかい」
「さあ」
「何んしろ、大砲を打ち込んだからねえ」
「じゃ、駕籠は、木《こ》ッ葉《ぱ》微塵でしょうな」
「どこへ飛んじまったか、形も無《ね》えだろう」
「成る程ねえ」
橋の内部から、七八人の、棒をもった人々が、走ってきた。
「お役人だ」
「相馬大作ってのは、討たれたって話だが」
「何んの、影武者が、ちゃんと、七人あるんだ」
「じゃあ、この大作は?」
「これが、本物さ」
「あとの六人は?」
「今、昼寝している」
役人が、走ってきて
「神妙に」
と、声をかけた。
二十二
関良輔の、相馬大作は、甘酒屋の荷と、柳の大木を楯にして、脇差を抜いていた。誰も懸け声だけで近づかなかった。役人がくると同時に、自分達は、じりじりと退いた。役人は、棒を構えて
「神妙に致せ」
と、叫んだ。幸橋の方から、霞ヶ関の方から、群衆と、役人とが――馬上で、徒歩で、それから、その近くの邸の人々は、足軽を出して、群衆を追っ払い始めた。
「神妙に致せ」
という声が、いつまでもつづいていた。関良輔は、人々が、十分に集ったのを見ると
「白沢の関より届にも及ばずして、参覲交代の道を変更したる段につき、上より咎めあるべきはずを、沙汰の無き、これ一つ。津軽越中守を、国境の渡場にて討取ったる上は、家改易に処すべきに、これまた、咎めの無きこれその二。第三に、天下周知の檜山横領の件。この三つの大罪を犯したる津軽を依怙《えこ》贔屓によって、処断せざること、天下政道の乱れ、これに優ること無し。いささか、南部に縁ある者として、また、天下を憂える者として、ここに、白昼、お膝下、衆人環視の内において、津軽近江を討取ること万人が、その証拠人であろう。これによって、津軽を処分せずんば、信を天下に失うものと知るがよい」
関良輔は、赤くなって、絶叫した。群衆の中から、幾人もが頷いた。
「無益の殺生は致さん、思うこと申したる上は尋常にお縄を頂戴致そう」
良輔は、こういって、脇差を鞘へ納めて、荷の上へ置いた。
「神妙に致せ」
一人が、棒を突出して、じりじりと寄った。一人が、素早く、後方から、組みついた。と、同時に、役人と津軽の家来とが、飛びついた。髻《もとどり》をつかんだ。脚を蹴った、役人が
「無法なっ」
と、叫んで、津軽の者を、突きのけた。
「馬鹿野郎、津軽の馬鹿っ」
と、町人が、叫んだ。
「卑怯者っ、武士かっ、それでも武士かっ」
と、一人の侍が、走り寄った。良輔は、血を流し、髪を乱して微笑していた。役人は、津軽の人々の手から、良輔を守って、橋を渡りかけた。
群衆は役人に追われつつついて行ったり、出羽の邸をのぞいたりして、だんだん数が増してきた。甘酒の荷と、短銃と、脇差とをもって、役人は、奉行所の方へ走った。
「志士というべしじゃ」
と、老人の侍が呟いた。
「大作は、もっと、痩せて、身丈《みたけ》が高いと聞いておったが――」
と、一人が呟いた。その群衆の、後方の方で
「大作――大作が――本当かの」
と息を喘《はず》ませて、右源太が、人に聞いていた。そして、群衆の中を、走って行った。新らしい橋へ来た時、もう、大作の姿も、役人の姿も無かった。
(大作の畜生っ、何んて、大胆な――こんな所へ現れて――畜生っ、俺は、じっとしておれなくなったぞ、百石どころか、元も子も、棒に振るか、振らんか――畜生)
右源太は、脣を噛みながら、濠に沿うて歩き出した。
(ここは、濠だが――いつか、南部の方へ、ぼんやりと、歩いて行った時は、こんな気持だった。あれから二ヶ月しか経たぬのに、又――俺は、何うすりゃいいんだ。俺の考えておいた弁解が通るか通らぬか――通らなかったら――)
右源太は、蒼い顔をして、俯きながら、まだ、だんだん増してくる群衆の中を、当てもなく歩い
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