た。
「昔、支那に、文天祥という人があった。その人の詩に、正気《せいき》の歌というのがある」
 大作は、こういって、見台の上の本を披《ひら》いた。

    二十九

 女狩右源太は、詰所へ戻ってきて、押入れから、捕物の支度の入っているつづら[#「つづら」に傍点]を、引出した。
(皮肉なことをいやがる。どうも、俺より一枚上手らしい)
 そう思って、脚絆、鎖鉢巻、鎖入りの襷、呼子笛、捕縄を取出した。
(何事も、眼をつむっているから、大作を、召捕って参れって――自分達は、命が惜しいものだから――)
 足音がして、朋輩が入ってきた。
「右源太も行くのか?」
「うん」
 右源太は、脚絆を当てていた。一人は、薄色の紬の羽織を脱いで、同心らしい、霰小紋の羽織に着更えた。
「いよいよ本物の大作だから、一つ、手並を見せて頂くとしよう。道場では、負けぬが、何んしろ、一度は、大作の首を上げた御仁だからの」
 一人が、板壁に立ててある突棒をとって、しごきながらいった。
「拙者が、案内を乞う。取次が出てくる。押問答になる。それだけ――まず、命に別条の無い方へ廻りたい。百石の御加増はいらんが、命はいる。拙者は不
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