者、いかなる用件といえども、紹介する者無しには、面謁せぬと。頼山陽先生さえ、断ったというが――たわけた沙汰だ。大作も、その弟子だから、見えすいた術策を弄して――紙の大筒――よし、今日まで、世間の噂、びくびくしていたが、正面からの太刀打は――まず、出来んとしても、欺し討ちなら、大丈夫だ。天下のお尋ね者を討取り、重ねて兄の仇を討ったと――まず、安うて二百石。二百石になると、新吉原へ行っても太夫所が買える。芸者なら、櫓下《やぐらした》――)
 右源太は、にやにや笑いながら、曲り、折れる急坂を、とことこ小走りに、降りて行った。
(早く、討取って、早く戻って――何んしろ、食物の拙いのには、恐入る。食物は、江戸に限るて――)
 右源太は、江戸のことを思いながら、足は、大作の去ったと思う、津軽領の方へ、急いでいる。
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「米沢街道に、白菊植えて
何さ、聞く聞く
便りきく
米沢街道に、松の木植えて
何を、まつまつ
主を待つ
とこ、すっとこ、ぴいとことん、か」
[#ここで字下げ終わり]
 右源太は、唄いながら
「おっとっと」
 と、独言をいって、細い、急な坂道を、どんどん降りて行った。行手に、道が白く延びていて、田畑か、川が、家の屋根が、見えていた。

    七

 二人の侍が、ずかずかと、茶店の中へ入ってきて
「只今、津軽越中守様が、御通行に相成る。許しのあるまで、ここから出んよう」
 茶店の亭主が、膝まで手をおろして
「はいはい」
 と、つづけさまに、お叩頭をした。役人は去ってしまった。
「厳しいのう」
 一人が、隣りの男へ、小声でいった。
「大砲以来、とても、とても――へっ、昼寝でもしてこまそか」
「然し、相馬大作って、人は、大きい声でいえねえが、えらい人だの。一人で、南部を背負って立って、津軽の睾丸《きんたま》を、縮み上らせているのだから――」
「越中さんも、ここまでくりゃ、然し、一安心だ。川を越えりゃ、自領だからのう」
「へい、へい」
 表で、忙がしい返事がして、一人の旅商人が、一人の役人に襟首をつかまれながら、小走りに、押されて茶屋の中へ入ってきた。
「うろうろするな、野良犬めっ」
 役人は、商人を突放しておいて、去ってしまった。
「何うもはや――」
 商人は、襟を直し、髪を撫でて
「御免なされて、どうも、うかうか歩きもできん」
「何うしましたえ」
「何にね、その村から、近道しようと、畦《あぜ》を出てきたら、こらっと、やられて、猫の子みたいに、首筋を掴まれて――何うも、相馬大作も、いろいろたたりをしますわい。しかし、川筋の取締りが、大変で御座りますよ。津軽領には、二百人から出張ってで御座りますな。ずらっと、堤の上に――」
 女狩右源太は、人々の話を聞いていたが
「そうも、恐ろしいかのう」
 と、呟いた。人々は、一斉に、右源太を見て
「ええ、檜山領の百姓には、生神様のように思われて――」
「大砲を何しろ作って」
「見たか、その大砲を」
「いいえ」
「わしは見た。紙じゃ」
「紙? 張りこの?」
「そうじゃ。余り、びくびくすると、張りこが、鉄《かね》に見える。世間が泰平じゃと、話が、面白|可笑《おか》しく尾に鰭をつけていかん。大作など、人気とりの山師にすぎん」
 人々は、黙ってしまった。
「出るな、出るな」
 幾人も、袴をくくり上げて、草鞋履《わらじば》きで通って行った。行列が、近づいてくるのであった。

    八

 人々は、渡し場の、草の中へ、膝と、手とを突いていた。舳《へさき》にも、艫《とも》にも、船頭が、川の方を向いて、両手を突いていた。船中の侍は、駕の側、前後に、膝をついていた。駕の中に、垂れをあげた津軽越中守が、腕組して、水を眺めていた。
 川下にも、川上にも、小舟の中にも、侍が立って、川面、両岸を、警戒していた。向う岸の、津軽領には、人々が、草の上へ黒々と立っていたし、馬が、槍が、人々の頭の上で動いたり、光ったりしていた。
「出ます」
 杭を押えていた侍が、こう叫ぶと共に、船頭が立上って、纜《ともづな》を解いた。船は、静かに、舳を川の方へ押し出しかけて、四人の船頭は、肩へ竿を当てて、力を込めた。
 川水は、少し濁っていて、杭には、草が、藁が引っかかっている。岸の凹みには、木切れ、竹、下駄などが、浮いていた。
「おーい」
「おーい」
 船頭は、合図をして、竿を外して、艪《ろ》に代えた。船は、ぴたぴた水音をさせつつ、静かに、中流へ出た。
「ああ何か」
 と、岸の一人が、呟いた。船べり近くの水面へ、黒い影が浮んできたのが、見えたからであった。
「何?」
 一人が、振向いた。
「あれ」
 と、指差すか、差さぬかに、水がざっと泡立ち裂けると、白鉢巻をした顔が――手が、足が――
「曲者っ」
「曲者っ」
 岸の人々
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