に、法を曲げて直を直とせん世ならば、人生生きていて何の甲斐がある。上下、人民までが、奢侈《しゃし》にのみ走り、遊惰に傾き、大義大道を忘れている世に、碌々《ろくろく》、生を貪っていて、何んの五十年ぞ。その時には、奉行の前で、いささか、心中の気を吐いて、倒れるだけじゃ。丈夫の事を為す。必ずしも事の成否を問わん。ただ、心の命ずるがままに行って、倒れて後やむ。わしは、江戸へ戻るぞ。そして兵学の道場を開いて、天下に向うのだ。廃《すた》れたる世なりと雖《いえど》も、一人や、二人の義人はあろう。それでいい、一人もいなくとも、平山先生が在《おわ》そう」
「私もいささか――」
「お身も時世に逆っているが、誠心は、いつの世にか知己のあるものじゃ。明日、早朝、江戸へ立とう」
 大作は、薄暗い燭台の灯を、半顔に受けて、じっと、天井を睨んでいた。
「越中守を討取っても、改易にならんのか」
「檜山横領を、黙認する位、当然で御座りますな」
「この噂が、世上へ拡まった時、人民は、何う思うか? 私欲のために、天下の法を曲げて徳川の代も末遠くないぞ。良輔」
「はい」
「臥《ね》るがよい」
 大作は、腕組したまま、いつものように端坐して、眼を閉じた。

    十七

「然し先生」
 良輔は、声をかけたが、大作、黙ったままであった。暫くしてから、もう一度
「手前当代の津軽を討とうと存じますが」
 大作は、眼を閉じたまま
「討てるか」
「一人を討っただけで、捕われるのも残念に思いますから、先生が、お手を下されないなら、手前討とうと存じます」
「討てるか」
「短銃で、討てようと思います」
「それもいい。相馬大作が、二人現れてはおもしろかろう」
 大作は、眼を開いて微笑した。
「然し、短銃は、己を全うして、敵を討とうとする得物《えもの》じゃ。凡そ、人を討つほどの者は、敵のみ討って、己を全うしようと考えてはいかん。己も死ぬ、その代りに、敵も斃《たお》す。この覚悟をせんといかん。十死一生、これが、剣道の奥儀じゃ」
「よく心得ております」
「場所は?」
「新らしい橋のあたり」
「よかろう」
「甘酒屋にでも姿を変えまして」
「それもよい」
「十分の距離にて狙撃すれば、逃がすことはあるまいと、心得ます」
「よし、わしは、見ていよう。二人の壮士が現れたことが、何ういう風に、この遊惰な世間へ響くか――やってみるがよい」

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