分別と――)
吉右衛門は、支度をして、立上った。
「何処へ、今時分から」
と、村の人が、声をかけた。
「江戸へ行って参ります」
吉右衛門は、丁寧に答えて、お叩頭《じぎ》をした。
「まあ」
村の人々は、それ以上に、物をいわなかった。
(この村の人を丸めるのは訳は無いが、江戸の役人は、俺の逃げたのを聞いているだろう。逃げたから? 罪にはならんか? 逃げたことが奉行所から、江戸中へ洩れているか?――今度、江戸へ行っての噂が、俺の運命をきめるんだ――余り称《ほ》められすぎているから、逃げたことが洩れた時、その逆がきたなら?――いいや、俺は生きている。物が書ける。何んなことをいっておいた所で、何もかも知っているんだから、俺から、何んとでも、弁解することが出来る。心配することはない。士分が、切腹だから、俺は切腹せんでいい。切腹でない?――そうだ、江戸お構い――その辺の所だ。そうだ)
吉右衛門は、一切が、明らかになったように思えた。微笑しながら、早足に、江戸の方角へ歩み出した。
(義士、寺坂吉右衛門――俺を、散々下郎扱いにしたが、そいつらが、四十六人で、俺を一番幸福な人間にしてくれたんだ。
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