かと思うが、揺籠《ゆりかご》よりは柔かく、子供にはいい籠である。そして、ゆり上げ、ゆり下げつつ、両手で、新聞を見、本をよみ、物をかくのであるが、女なら毛糸や、刺繍位はやれるであろう。ミルクの調合も上手であるし、時々大家の婆さんが見にきて
「泣かない子ね」
 と云ったが、私の子守は天才的に上手であった。それから十月の三十日まで、子供には風邪一つ引かさなかった。真夏には、湯屋へ行って、三時間位、親子二人裸で、この揺籠をゆりつつ、暮らしていた記憶がある。
 その内、子供が、母親の乳と、顔とを覚えるようになった。当時、江戸川が電車の終点であったが、夕方になると私は、子供に早く母親の顔を見せてやりたいので――決して、私が女房の顔を早く見たいのではない――江戸川の堤を、子供を抱いて、終点へと行くのである。雨の日には傘をもって――それは※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]であるが、私を考えさせる日が、十月まで半年つづいた。
 女房の帰りを迎える為に、菜を煮、米をかしぎ、座敷を掃除し、時々は、洗濯までしながら、生活について考えた。書く、という事を第一に考えたが、人の書くような小説を今更書
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