えないで、微かに不快ささえあった。
これだけならいいが、大震災の時に、私の情婦を、巣鴨へ訪ねて行って、帰り途、護国寺の前へくると、自警団につかまってしまった。
「お前、朝鮮人だろう」
と、一人が云うが早いか、ぐるぐると取り巻かれてしまった。
「戯談《じょうだん》云っちゃあ困る」
「いや、朝鮮人だ」
「何んな面だ」
とか
「ちがうちがう、日本人だ」
とか、いろいろ周囲で騒いで、無事に納まったが、これで見ると、朝鮮式の所も、多少はあるらしい。
つまり、いくらかのんびりとしている顔で、そこへ女が惚れるのにちがいない。鏡で、自分で見ると、何処にも、そんな所はないが、人が見ると、いろいろに見えるものと見える。
三十二
学校の思い出は殆ど無い。
中学以来、学校は下らないものだと考えていたのが、確実になっただけである。
親でもなく、叔父でもなく、主人でもなく、先輩でもなく、先生という一つの尊敬と、なつかしさとをもった人格は、確かに、立派な存在であるが、私は、故郷をもたぬように、そうしたなつかしい先生をもたない。中学の木村寛慈先生が、ややそれに近いだけで、時々、先生はいい仕
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