悟した。時々、注射するだけで、殆ど養生をしていない。事実出来ない。
「何うして、養生をしない」
 と、誰でも聞いて下さる。
「金がない」
「戯談《じょうだん》を」
 馬鹿野郎め、あるか、無いか、一つ、裸になるからよく見てみろ。

    二十九

 昭和六年の、税金査定が、一万二千五百円である(この額が不当なので、納めなかったら、問題になった)。七年のが、二万千五百円。これも不当だから、審査を願って、これは、一万六千百七円、という額になったが、これから、私の実収入を推察するといい、月二千円内外と踏んでいいであろう。
 月収二千円。女房(今はない)子が二人、妾(今はない)、家二軒もっていたとて、二千円なら、千五百円ずつたまるだろう――と、誰でも、こう見ているらしい。
 だが、だ。昭和五年の税金を見るがいい。三千七百円(一万を落としたのではない。ただの三千七百円が、税額である)。その前年は無税。
 私に今日、多少の名声がありとすれば、それは「南国太平記」からで、それまでは、貧乏以上の貧乏であった。昭和六年に「南国」を書いてから、ようよう月収が、千円以上になりかけたのである。これが、わからな
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