いで、私は辞して、東京へ出たが、山の中の平和な――もし、私が、文筆で暮らせなくなったら、ああいう所へ行けば、まだまだ日本も、のんびりしていると思うている。
(然し、二十年の間に何う変ったか?)
 急な山の中腹に立っているので、学校の真上に寺がある。とにかく、汽車を見た事がない生徒が多いし、飛行機の話をしたら
「先生※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]つきよる」
 と、てんで、本当にしないのだから
「先生、地獄てあると、坊さん云うてましたで」
 と、何のはずみか、生徒が云ったので
「そんなものはない」
 と、答えたら、真上の坊さんが怒って
「今度来た奴は生意気だ、代えてしまえ」
 と、校長の所へ云って来た事があった。これだけが、私の起した事件で、相当真面目に勤めていた。そして、早大へ入る為、大阪へ帰ってきたが、ここに又、一つ、恋愛事件が起った。これが、私の最初のそれかも知れない。

    二十一

 女が死んだか、生きているか――生きているとすれば正当に考えると、人妻であろうから、姓を秘して、徳子という名だけにしておく。世の中には、朝出て行く時、鏡台の前のポマードの分量を
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