勉強することもありませんから、三角はやりません」
と、云った。数学の先生は、その学期の初めに、大学を出てきた人で、若い、おとなしい人であった。笑って返事をしなかったので、そのまま出てきた。
当時は、新聞で「社会」という字をつかっても、睨まれた時代で「社会主義」などと云おうなら、今の共産党の十倍位、悪いものと考えられていた。その「社会主義」が、私の綽名《あだな》で、この綽名は、森――ニックネームを大砲という物理の先生がつけたもので
「植村は、学校の社会主義だ」
と、とにかく、手に負えなかったらしい。何故、手に負えなくなったか? それは、私が、中学の先生を、軽蔑し、失望したからであった。
私の中学に於ける不平から、云っておきたいことは、中学が、学問を教えず、教育を知らず、という事である。数学の先生はボールドへ式をかいて、答えをかいて、それっきりである。教師用の参考書のあることを知っている私達は
(参考書さえ見りゃ、先生だって、生徒だって同じだぞ)
と、数学という学問の性質、尊さ、先生の人間的生活のえらさ、そうした教育の根本に、少しもふれないから
(一時間口先で喋《しゃべ》るだけで
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