行く時分、もう居なくなって、そのあとが私の部屋になったのであるが、この人へ、飯をもって行くのが、私の役目であった。矢張り、家へ戻ってきて、午餐《ごさん》をとるのであるが、母は、仏前へ飯を上げると、次に、この老人の所へもって行く。私が上って行くと、老人は、上品な、白髪、白髭で、歯がなく、もぐもぐと口を動かしつつ、微笑して、私に何か云うが、少しもわからないので、おしまいには、段の途中から、膳だけ置いて、降りる事にしてしまった。明治二十何年からの日記が、ことごとくあるが、読みづらいので、そのままにしてある。
この頃、いくらか、商売がよかったらしく、品物が店に狭いまでに置いてある日などがあった。それにしても、今、数えると――店の入って左側に吊るしてあるのが八枚、その奥に十二三枚、店に二列に、縦にかけてあるのが十六枚、その着物の間々に、股引だの、襦袢《じゅばん》だの、一枚二円ずつにしても、六七十円の品である。
しかし、三円から、六七円の売れ行きがあったし、三割近い利益であったから、店のこの小売と、仲間同士のやや大口の商売で、六、七十円の収入にはなっていたらしい。
「月、百円儲かったらなあ」
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