と、子が居ないので、矢張り、私を可愛がってくれた。白葡萄酒をのましてくれたが、私は
(世の中に、こんなうまいものがあるだろうか)
 と、感じた。早稲田を出てからさえ、白葡萄酒だけは、どうかして、一本欠かさず備えておきたい、というのが、人生の希望の、大きい一つであったが、今頃飲むと、一向うまくない。
 食べ物では、今でも、食べたいと思うのは、蒟蒻《こんにゃく》。今の蒟蒻とは、蒟蒻がちがうらしい。もっと、色の黒い、汚い黒い斑点の入った――それが、実にうまかった。例の、夜店の関東|煮《だき》屋の品であるが、これも、すっかり無くなった。水飴、和砂糖――飴は今でもすきであるが、瓶へ入ったとろとろの飴など、食べられない。田舎へ行くと捜すが、もう、田舎にもなくなっている。
 渋川特務曹長が、千日前の見世物というのを、初めて見せてくれた。見せ物などは、他人の見る物だと、看板ばかり見て、決して、中へ入った事のなかった私は――何うだ、第一に「へらへら坊主と、海女」へ入ったのである。
 舞台の前に、水槽があって、その中へ、赤い湯巻一枚の海女が、飛び込んで、中で、踊を踊るのであるが、十か、十一の私には特務曹長
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