いたが
(何んて、生意気な教師だろう)
 と反感をもって、こっちも、下から睨みつけていると
「一体、諸君は、英語を何の為に学ぶのかね」
 と、喇叭《らっぱ》みたいな声を出して、第一日、最初の口を切った。高師部の人々だから、皆おとなしい。黙って、答えない。すると
「おい、君」
 真下の僕を、指さした。僕は、かっとなった。
「愚問ですね」
 と、答えると共に、脂切って、肥った面がむかむかと、憎くなってきた。正面から、作三郎を睨みつけて、立上ると
「吾々は、小学生じゃありません。何のために学ぶかなどと、そんな質問をしなくてはならぬような幼稚な生徒に、何のために、教えるんですか」
 と、やった。作三郎、さっと、真赤になると
「生意気だ」
 と、云った。だが、さっきの喇叭の音のような明朗さがなく、咽喉に何かが引っかかっているような声であった。私は坐った。
「こういう生意気な生徒がいるから、質問したんだ」
 私は、立って、教室を出てしまった。それ以来、内ヶ崎先生には逢わぬが、あの時の、人を見下げた態度というものは、いろいろの教師を知っているが、不快千万なものであった。

    二十六

 月末になってみると、何うも、五十銭の節約だけではやって行けそうにない。それで
(月謝を払わない事にしたら)
 と考えた。月額四円の節約、これは大きい。
(何うも、あんな先生のあんな講義で、四円五十銭もとるのは、高すぎる)
 島村抱月先生は、何故か休講、坪内先生も二回聞いたきり、相馬御風氏が、文学を講じる外、片上先生、吉江先生も英語を教える時間の方が多い。
(英語なんぞ習いに来たんじゃあねえ、もっと、月々雑誌にかいてるような事を、聞きにきているんだ。それを聞かさないんなら、月謝納めないぞ)
 いろいろと理由をつけてみたが、理由よりも、何よりも納める事が出来ぬ状態になってしまったから
(見つかって学生証見せろと云われりゃ、其時の事だ)
 と、度胸をきめてしまった。
 一二ヶ月は、びくびくしていたが、試験を受ける必要はないし――第一に、もとから、そう勤勉に講義に出てはいないのだから
(一学期分と、四円払っているんだから、それで負けておいていいだろう)
 学校へは、友人と話しに行くだけで、ノートなどは
(ノートをとると、盗講になるから、とらないですよ)
 というような理由をつけて、一冊もとらなかった
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