郎が、京町堀にいたが、ここへ遊びに行っている内に、そこから四五軒東の佐々木という家の娘の子と、親しくなった。雪ちゃんという名である。齢は十四歳。これは恋でなく、ただ可愛がっていただけであるが、その可愛がり方が、並大抵でない事は、後にかく。
この井上の母の妹が、後に私の妻となった女で、京町堀小町と呼ばれて、美人であったが、婚期を失して、二十六歳にもなって独身者であった。
二十
遊んでいても仕方無いし、遊んでいられる身分でもないので、薄恕一氏の紹介で、小学校の代用教員になる事になった。赴任地は、大和国吉野郡白銀村、白銀尋常小学校というのである。
五条の町から、山へ入ること三里半、銀峯山の中腹に建っている学校である。月給十一円五十銭。私の受持ったのは三四年生の男女である。二部教授。
教員は、校長、その次、女教員、私と四人。校長は校内に宿泊し、女教員は村の人で、私と、同僚とが、山の崖っぷちに立っている小屋に等しい二間の家――二間と云っても、上り口と、その次と、六畳に二畳の家に住んでいた。食べるものは、芋、干魚、豆腐、寒い山の上なので、冬になると芋が凍っている。豆腐は固くて、五六町上の村まで買いに行くのであるが、藁で縛ってくれる。持って帰ってもこわれないから、えらい豆腐だったと、今でも感心している。
同僚は、前からいるし、私は新参だし、お菜は作るのが上手だし、炊事番は大抵私であった。時々、鹿の肉を売りにくるのと、魚屋が鮫の半干魚をもってくる位で、大抵、菜っ葉と、芋と、豆腐。この生活が八ヶ月つづいた。
所が、この学校へ勤めるという事を、その雪ちゃんに話したところ
「淋し」
と、いうのである。
「日曜日に帰ったらええやろ」
「そんならうれしい」
そこで、学校が土曜になると、山の上から三里半五条の町へ走るのである。
丁度、それで汽車に間に合って、大阪着が八時、月曜の朝早く家を出ると、学校の授業に一時間おくれてつく。その一時間は、唱歌の時間にして、時間表を変更し、同僚に頼んでおくのである。
十一円五十銭であるが、初めての月給だし私にとっては大金なんだから、嬉しかった。家は無家賃、芋や、菜は、生徒がくれるから、一ヶ月五円もあれば十分である。残りが小遣になるから、雪ちゃんに、その頃|流行《はや》っていたリボンを買ったり――リボンと、週一度の汽車の往復、私は
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