ったなら、私は受験したであろうが、初日が、数学なので
(こらいかん)
 と、度胸をきめて、予定通り、試験を受けない事にした。河田屋敷という所に、友人と下宿していたが、ボートから見上げる城がいい景色なので、朝から正午まで、川にいて戻ってきた。
(おれは、恩給取りにはなれん。不孝者だが仕方がない)
 と思って、知らん顔をして帰ってきた。
「何うやった」
「駄目だろう」
「ふむ――何が悪い」
「高等学校は、中々一ぺんで入られへん。それより私立へ行った方がいい。勉強さえしたら、私立でも、官立でも一緒や」
「私立はあかん、岡山が、いかなんだら、来年もう一遍受けてみ」
 薄病院の院長は
「植村、速記者になれ」
 と、云ってくれた。院長を、崇拝している父は、いろいろの所で、速記者というものを聞いてきて
「あら金が儲かる。衆議院で演説するやろがな。それをあとから一寸取消してくれ、と云いに行く時、金を包んでくるのやが、これが大きい。ええ商売や、人の気のつかん商売や」
 恩給が、忽ち、速記者になったが、私は対手にしなかった。

    十九

 当時、末吉橋東詰松屋町に、豊竹呂昇の持小屋「松の亭」というのがあった。ここに落語がかかっていた。友人に連れられて、一夕赴いたが、女剣舞師に花房百合子というのがあって、剣舞一つ、踊一つ、居合抜き、軍歌と、これだけやるが、この女に惚れた。これが、私の初恋である。

[#ここから2字下げ]
雪はちらちら降るその中を
熊本連隊十三隊
第一大隊日を定め
陸軍繰出す熊本城を
数万の弾丸飛越えて
吾兵各所に進撃す
[#ここで字下げ終わり]

 と、いう唄を唄いながら、御下げ髪に白鉢巻、刀を抜いて踊るのに惚れたのだから、その頃から、ファッショだったのであろう。
 所が、小遣がない。それで、花房が、寄席の掛けもちの為、車で走るのを、私が追っかけて――車は街路の真中を、私は、恥ずかしいから軒下を――走りながら、飽く程顔を見て、へとへとになって
(何んて馬鹿だ)
 と、思ったが、これを二度やった。三度もやったら、気狂いが追っかけてくると花房は思ったであろうが、この時、花房を思う歌などを作った。これが、私の歌の最初であるが忘れてしまった。
 その内に、学校は無し、弟は十歳にもなって、背負わなくてもいいし、時間が余るし、同じ落第仲間へ遊びに行く事を覚えた。同級の井上市次
前へ 次へ
全45ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング