客の脇差を取寄せると、間違いも無い拵《こしら》え、目貫《めぬき》の竹に虎、柄頭《つかがしら》の同じ模様、蝋塗《ろうぬり》の鞘、糸の色に至るまで、朝夕自分が持たせて出した夫の腰の物である。
さらさらと書流す一通の手紙、金七という己が宿元へ。
「敵が判ったから今討取るつもり」
後の事色々と頼んで使を出してから身拵え。用意の短刀を懐に、歌浦を呼んで立たせてから斬りつけたのである。
四
奈良へ行くと猿沢の池の次が、十三|鐘《しょう》、所謂《いわゆる》「石子詰《いしこづめ》」の有ったと云われている所であるが、一時間名所を廻って一円の車屋や、名所一廻り三十銭の案内人が、
「鹿を殺した罪で憐れや十三の子供が一丈二尺の穴へ埋められ、生ながらの石子詰」
と、出鱈目の説明をする。
瀬川の父、大森右膳が奈良の産。京都で富小路家《とみのこうじけ》に侍奉公《さむらいぼうこう》していたが、故《ゆえ》あって故郷に帰り、大森通仙と名を更えて、怪しげな医師になっていた。
この「故あって」、実は富小路家の女中と不義を働き、手をとって戻ってきたのであるが、多分いい女であったにちがいない。瀬川こと本
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