こね》てこの事や」
「洒落か、そら」
「しんどの仕損いって、どや上手やろ」
役人が来て調べたが勿論下手人は判らない。下手人が判らないと、門口にあったという理由で通仙は処払いに処せられる。これも判らない処分であるが、こうしないと松葉屋瀬川の話はおもしろくならない。
この時代より以前、板倉伊賀守が奉行をして居た頃、ひどくこの鹿に就《つい》ての処分法が苛酷であったから、寺社奉行と相談の上改めた事よりも、講談俗書では矢張り、厳刑のままの方が名高い。
通仙仕方がないから又京都へ行く。ここも面白くないから大阪へ出て山脇通仙と改めていたが、何の因果か奈良程繁昌しない。繁昌はしないが、元が武家で今が医者だから相当の交際はできる。その上に、これを事実らしくする為に持出してきた友人が、鯛屋《たいや》大和《やまと》、号を貞柳という狂歌の名人である。上本町五丁目の寺に墓があるが、この人を引張り出してきて通仙の友人にしてしまった。通仙もいい友人が出来たから、貧乏の棒が次第に太くなり、というような狂歌を作っている内に病気になって死んでしまったが。とにかく、仇討物語もいろいろとある中に、この位経歴のよく知れた
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