人は無い。
当時の大阪城代内藤豊前守の家中百五十石勘定方小野田久之進へ、この貞柳が、たかを嫁入らせた。母親は年増だがいい女、娘は後の松葉屋瀬川、久之進も悪い気持でない。
五
享保三年、内藤豊前守御役御免になって、領地越後の国村上へ帰る事になった。久之進も勿論同道、一旦深川の上屋敷へ戻ったが、後片附の為、同十月藩金四百五十両を携《たずさ》えて大阪へ上る事になった。
東海道で、悪馬子の出るのは箱根、盗賊の出るのは薩陀峠《さつたとうげ》ときめてある。この御きまりの薩陀峠へ、小野田久之進不覚にも一人で差しかかった。大抵旅人は五六人、七八人も一緒になって由井を出て薩陀へかかるのであるが、大事な役目を控えながら、ただ一人、白昼にしても夕方にしても山中深い所へきたから、
「旅人まて」
と人相の悪いのが三四人出てきた。人相の悪い盗賊なんてものは大抵下っ端である。頭分《かしらぶん》になると皆人相がいい。何んとかという殺人鬼など、尤《もっと》も深切な銀行員、小間物屋の如くであったと云うし、今でも大きい泥棒は大抵堂々と上流に住んでいる。
「何を小癪な」
と、ちゃんちゃんとやったが、久
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