名たかは、この二人の間へ生れた子であった。
「不義は御家の御法度《ごはっと》」で、危いと首にかかわるし、第一若い男と奥女中との間、余程取締りの厳重であるべき筈だのに、出来たのだから通仙もいい男にちがいない。従って、たかは父に似たか母に似たかは知れぬがいい女である。
「二人のいい所だけを取るともっといい女だったのに」
と、通仙、藪医だからメンデリズムの法則なんか知らなかったのだろう。子供という者は母に似るか父に似るか、祖父母に似るかで、母のいい所と父のいい所だけをとったり、二人の悪い所だけに似たりして生れるもので無い。母親が小ぢんまりとした細面《ほそおもて》の美人で、父親が眉の太い、大きい鼻だと、きまって親爺に似て出来てくるものである。
たかが十二三の時分から、そろそろ近所で噂が高くなった。
「医者坊主の娘にしておくのは勿体《もったい》ないな。鹿の角細工店でも出して看板娘にすると、よう儲かるで」
と、諸国遊覧客の懐を相手に暮している奈良町人碌な事を云わない。
奈良町奉行の与力、玉井与一右衛門の若党の源八というのが、このたかに惚込んだ。通仙の下男に頼んでは艶書を送る。下男の方では、
「旦那又参りました」
と、庭にでも落ちていたような顔をして、忠実そうに通仙に手渡す。
「うるさい奴じや」
と気にもとめない。源八その内にそれと知って、一日酒の勢をかりて、通仙に申込むと頭ごなしに叱られてしまった。
「畜生め、御嬢さんに聞いてみろ。二つ返事で、あの源八ならと来るのだ、覚えてやがれ坊主め」
と、怨んでいたが思出すのは例の石子詰である。神鹿《しんろく》を殺す者は、人殺しよりも重い罪になるというのが、とにかく掟らしく云触《いいふら》されていたから、源八夜中に一頭ぽかりとやっておいて、死骸を通仙の門口へ置いておいた。
私はこの話を誰かの作り事であると云っておいたが、この鹿殺しなどもよく出てくる手である。
「やあ鹿が死んでいる」
落語で云うと、門口へ鹿でも死んでいると大変だというので、奈良では競って早起きしたと云うが、冬寒くって夏暑い所、夜中までも起きている必要のない所だから早起きをしたのだろう。
「鹿め通仙さんに見て貰いにきて、叩いても起きないうちに死んだのやろ」
「阿呆抜かせ」
「それでも春日《かすが》さんの使姫の神鹿や、その位のことは判るで」
「神鹿の死損《しにそ
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