、皮肉やな」
「とんでも無い。この禿頭《はげあたま》が」
 とぴしゃりと亭主自分の頭を叩いて引きさがってしまう。
 内所へきて、胴巻に封印をし、印鑑の紙をみていると、
「親方、瀬川ざます」
 と、襖の外で声がしたから、
「さあ、御入り」
 女房が、煙管《きせる》をはたいて、
「御苦労だね、一つ御頼みしようか。これ、鏡台をもっておいで」
 と、昔の女郎、女房の髪まで結ってやったが、今は芸者は半襟をかけても、皺をよせる。
「主人やろな、番頭にしては外の人と話振りもちがうし。中々上方者にしてはよく遊んでいる」
 と、亭主、印を見ながら女房に云っていると、髪を梳《す》きながら眺めていた瀬川が、
「まあ、珍らしい印形、妾《わたし》のとよく似ていますが」
「ふん、わしもそう思ってるが、こりゃ町家のと違うらしいな」
「親方|一寸《ちょっと》拝見してもよざますか」
 手にとって見ると、夫|久之進《きゅうのしん》の所持していた物と寸分の違いも無い。はやる胸を押隠して、
「一寸拝借させて頂きましても……」
「いいとも」
 髪を結上げて、部屋へ戻り、印形を較べてみると全く同である。禿《かむろ》を呼んで、その客の脇差を取寄せると、間違いも無い拵《こしら》え、目貫《めぬき》の竹に虎、柄頭《つかがしら》の同じ模様、蝋塗《ろうぬり》の鞘、糸の色に至るまで、朝夕自分が持たせて出した夫の腰の物である。
 さらさらと書流す一通の手紙、金七という己が宿元へ。
「敵が判ったから今討取るつもり」
 後の事色々と頼んで使を出してから身拵え。用意の短刀を懐に、歌浦を呼んで立たせてから斬りつけたのである。

     四

 奈良へ行くと猿沢の池の次が、十三|鐘《しょう》、所謂《いわゆる》「石子詰《いしこづめ》」の有ったと云われている所であるが、一時間名所を廻って一円の車屋や、名所一廻り三十銭の案内人が、
「鹿を殺した罪で憐れや十三の子供が一丈二尺の穴へ埋められ、生ながらの石子詰」
 と、出鱈目の説明をする。
 瀬川の父、大森右膳が奈良の産。京都で富小路家《とみのこうじけ》に侍奉公《さむらいぼうこう》していたが、故《ゆえ》あって故郷に帰り、大森通仙と名を更えて、怪しげな医師になっていた。
 この「故あって」、実は富小路家の女中と不義を働き、手をとって戻ってきたのであるが、多分いい女であったにちがいない。瀬川こと本
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