て」
もう一人と三人の客の残った一人が、大丈夫とみて背《うしろ》から抱かかえ、
「誰か来いよう」
と叫んだ。禿《かむろ》と歌浦とが内所へ馳込んだので、五六人も登ってくると、髪を乱して瀬川は身もだえしている。客の一人が、肩を押えながら、倒れて唸っている。
「瀬川」
「親方、離してこの人を、御父さんの敵を討ちます」
「敵討か――敵討なら瀬川、証拠を御役人に見せて」
「いいえ、妾《わたし》は殺されても」
「これ――」
と、親方、目で源八の方を差すと、
「済みません、御内儀《おかみ》さんも勘弁して、もう大丈夫、離して下さい。さ刀も」
と坐ってしまった。役人はすぐきた。そして南町奉行中山出雲守の手から、曲淵治左衛門《まがりぶちじざえもん》と広瀬佐之助の二人が群がる人々を分けながら両三人の目明《めあかし》を連れて入ってきた。
三
享保七年四月二日の事である。客が三人、松葉屋へ登《あが》った。前々からの馴染とみえて、
「これは、御珍らしい」
と御主婦《おかみ》が云った。
「又、四五日御邪魔するで」
と、上方《かみがた》の人らしいが二三日|流連《いつづけ》をしていて、
「もう流連《いつづけ》も飽いたな」
大抵、流連《いつづけ》というものは二三日もすると飽き飽きする。いくら惚れた妓《おんな》とでも、妓と茶屋とは又別である。
「どや、江の島から鎌倉へでも廻ろうか」
「ええな」
亭主を呼んで、
「金をあずけとくわ、たんとも無いけど」
と、出した胴巻、中々重そうである。一目にみても、小千両あると判るやろ、一寸《ちょっと》持っていても此位と、流連客《いつづけきゃく》ふんぞり返っている。
「道中が恐いよってな」
「何云うてんね、太夫の方が恐いで、胡摩《ごま》の灰《はい》なら金だけや、太夫は尻の毛まで抜きよる、な、歌浦」
「知りんせん、御口の悪い」
「そこで二三十両ここに持ってるが、もし足らなんだら途中からでも使を出すよって渡してんか」
「かしこまりました。では――何分大切な御金の事で御座いますから、飛脚の参りました節に何か証拠が御座いませんと」
「そやそや、印鑑で割符をしとこか」
「ではこの紙へ」
と、亭主の懐中している紙入から抜出す紙一折。
「はい、確かに」
「一つやりんか」
「有難う存じます――御返盃、長居は不粋と申しまして手前はこれで」
「長居は不粋か
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