していた時だから、
「腰ならいい」
 と撲らしておいたとも云える。少くもその腰を撲った小者を、刀で払いはしたが斬らなかった所を見ると対手にせなかったものらしい。
「危い危い、傷《けが》しちゃいけないから退《の》け退け」
 位《ぐらい》は云ったかも知れぬ。――と、尤《もっと》もこれは又右衛門を贔屓《ひいき》にしての説明で、本当は油断の隙を撲られたのかも知れない。

     二

「主人、朋友の敵《かたき》は其義《そのぎ》の浅深に可依也《よるべきなり》、我子|並《ならび》に弟の敵者不討也《かたきはうたざるなり》」
 と「勇士常心記」に出ている。弟源太夫の敵として又五郎を討つと云う事は当時の武士の常識から云って出来ない事である。それを荒木又右衛門までが助太刀に出て、天下の評判を高めたのは、弟の敵以外に「上意討」の如くなっていたからである。又五郎を旗本の安藤四郎右衛門――講釈の阿部四郎五郎――が隠匿して池田公に喧嘩を吹掛け、
 此度《このたび》は備前《びぜん》摺鉢《すりばち》底抜けて、池田宰相味噌をつけたり
 と云うような落首まで立つ位になったから意地として池田|忠雄公《ただたけこう》は又五
前へ 次へ
全26ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング