あん》禅師の「不動智」にあるが、無念無想の境にあって敵に応じて無より出、無限に働くのを極意としている。平たくいうと、敵の眼に心を留めると、太刀の方が留守になるし、太刀のみに気を入れていると、脚の構えが抜けるし、一人に心を留めると、背後《うしろ》へ廻った敵に困るし前後へ気を配れば左右が粗になる。というように到底心を何物にかに留めては、留切れないから、こっちが「無」になってしまって対手を見ない事にするのである。そして敵から与える「間」にこっちが働いて行くのである。「無」になる為めには勿論生死を出ていなくてはならぬ。何時《いつ》でも死んでもいい腹は一番に結《くく》っておかねばならぬ物である。武蔵に見出された時の都甲太兵衛が、細川公の前で武蔵から、
「平常《へいそ》の覚悟は」
 と聞かれて、
「いつも死の座に居るつもりしていたが、近頃その死という事も忘れた。何も云う事も無いが、そう聞かれると、こうでも返事するより外に覚悟は無い」
 と答えると、武蔵が、
「これが剣の極意と云うもの」
 と云った話がある。宗矩の高弟である又右衛門も多少この辺の事は心得ていたらしい。腰の一件も、強敵桜井半兵衛を斬倒
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